どうせ英語を勉強するなら、ついでに「キレイな発音」も身につけたい、と思う人は多いことでしょう。
今日は「何を持って発音がキレイと言えるのか」ということについて考えてみたいと思います。
「キレイ」というのは、まずは「主観的な評価」と言えます。
つまり、人によって「キレイかキレイじゃないか」の境界線は異なる、ということです。
誰かの発音を聞いて、「キレイだ」と思った人がいる一方で、「キレイではない」と思う人もいるのが当たり前です。
しかし、主観的とは言っても「多数派の評価」というものはある程度は偏(かたよ)ると思います。
例えば、富士山を見て「キレイだ」と評価する人は、たぶん、世界的にみても「多数派」だろうと思います。
つまり「キレイか否か」というのは主観的な評価ではあるけれど、ある程度の「共通性」があるということです。
「英語の発音がキレイかどうか」ということは、実は「手書きの文字がキレイかどうか」ということに似ているように思います。
自分が書いた字を見て、誰かが「キレイな字」と褒めてくれることもあるでしょうし、誰も何も言わないこともあるでしょうし、あるいは「キタナイ字だ」と厳しく評価されることもあります。
「文字」も「発音」も、そもそも相手に伝えるためにあるものです。
同じ文字なのに、「キレイ」と思うか思わないかが人によって異なるのは、もしかしたら「主観が異なるから」ということだけでなく、「キレイ」という意味の定義が異なっているからかもしれません。
「読みやすい字がキレイな字だ」というように定義している人がいる一方で、「達筆で崩れているけれど、流れるような筆裁きの字がキレイな字だ」というように定義している人もいるかもしれません。
書道を習っている人や書道の達人に「達筆」な人が多いようですが、そういう人が書く字は必ずしも「読みやすい」とは言えません。むしろ「読みにくい」というケースも多々あります。
そういう字を見て「キレイだ」と評価する人もいるかもしれませんが、たぶん、多くの一般の人々は「読みやすい字こそキレイな字だ」と思うのではないでしょうか。
さらに、「ボールペン字のお手本」のような字を指して「キレイな字」と評価する人もいます。
しかし、文字のバランスなどはボールペン字のお手本には程遠いけれど、それでも「丁寧に書かれていて、読みやすい字」であれば、多くの人に「キレイな字」と評価してもらえる可能性は高いです。
つまり、「文字」の目的は「情報を相手に伝えること」なので、その目的がきちんと達成されている文字ならば、多くの人は「キレイな字」と評価するのだろうと思います。
こう考えると、「キレイな発音」とは何なのかが、少し見えてくるのではないでしょうか。
「発音」の目的もまた、文字と同じように「情報を相手に伝えること」ですから、その目的がきちんと達成されている発音は、多くの場合「キレイな発音」として評価されるわけです。
では、「情報を相手に伝える」という目的をきちんと達成できるような発音とはどのようなものでしょうか?
日本人が「カタカナ」で話すような発音のことでしょうか?
いいえ、一概にそうとは言えません。
発音によって情報を相手にきちんと伝えるということを可能にするには、「文字との付け合わせ」という考え方が必要になってきます。
次回、「発音と文字の付け合わせ」ということについて考えてみましょう。
どうぞお楽しみに!
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