何かを身につけるには、たくさんの時間をかけるということが必要となります。
泳ぎがうまくなりたければ、たくさん泳ぐこと。
車の運転がうまくなりたければ、たくさん運転すること。
人と話すのがうまくなりたければ、たくさん話すこと。
このように、「たくさんの時間をかける」ということがとても重要ですね。
英語も同じ。
英語の発音がうまくなりたければ、たくさん発音すること。
英語で文を作るのがうまくなりたければ、たくさんの文を作ること。
当たり前すぎて誰も言わないかもしれませんが、こういうことを地道にやった人だけが、そのことを身につけていき、うまくなっていくわけです。
ところが、「たくさんの時間をかける」というのは、言うほど簡単ではありません。
実際にできるようになった人に言わせると、「一日に○○時間はやった方が良い」など、どれくらいの時間をかけるべきかの指標があるようです。
そして、これから身につけようとする人達が、できるようになった人が示した指標に従って、「一日に○○時間はがんばるぞ!」と思ったとしましょう。
毎日毎日、示された指標通りの時間をぴったりこなすように頑張ったとします。
実際にできるようになった人と「同じくらいの時間」をかけたとして、果たして、誰もが同じようにできるようになるでしょうか?
その答えは「Yes」とは言い切れません。
なぜ?
それは、「時間をかけること」がいつの間にか目標となってしまう人もいるからです。
実際にできるようになった人は、初めから「一日○○時間やろう」と思っていたのではないはずです。
最初は「できるようになりたい」という思いがあって、「自分の問題点はどこだろう?」という課題を自分なりに持っていて、「どうすればこの問題点を克服できるだろう」という試行錯誤があったのではないでしょうか。
目標は「時間をかけること」なのではなく「できるようになること」なのです。
「できるようになりたい」という思いから、問題意識を持って試行錯誤しながら繰り返し努力しているうちに、知らぬ間に「一日○○時間」くらいはかけてしまっていたのです。
本当は時間をかけたいわけではなかったのに、それだけの時間が「かかってしまった」のです。
ところが、できるようになった人が示した指標の「時間」だけを鵜呑みにして、「それだけの時間をこなせばできるようになる」と思ってしまっては、恐らく、同じ時間の分だけの「見返り」はないでしょう。
「見返り」というのは、つまりは「自身の成長」です。
実際にできるようになった人は、「かけている時間」の最中は、おそらくそのことに「没頭」していたはずです。
そのことをやりながら、ひたすら「できるようになりたい」という思いで、そのことに「没頭」していたはずなのです。
しかし、「時間だけをかけよう」と思っている人は、「あ~、あと○○分やらなくちゃ」や「まだ○○分も残っている~」などのように、時間をかけていくことを「ノルマ」や「義務」のように思ってしまう場合があります。
「たくさんの時間をかける」ということは、何かを身につけるには絶対に必要なことです。
しかし、「時間をかける」ということの裏には、「できるようになりたい」という思いをもって、そのことに「没頭する」ということが必要不可欠なのです。
実際にできるようになった人達が示す「指標の時間」というものをあまり鵜呑みしないようにしましょう。
<おしまい>
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