英語学習者の皆さん、今日も頑張っていますか?

つい先日、ヨークカルチャーの受講者の方から、「英語は、どうやったら身につくのですか?」という質問を受けました。

そりゃあ、「音」を聞いて、マネして言って、単語を覚えて、文法を学んで、英文を作る練習をたくさんやれば良いのです。

ですが、そういうことを地道に繰り返しても、なかなか身につくようにならない、と思っている人もいるのではないでしょうか。

もう1つ、別の観点として、「ぼんやりとした世界の中に身を置く」ということもまた、英語学習には大切な要素です。

 

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「ぼんやりとした世界に身を置く」というのは、どういうことだと思いますか?

これは主に「音」の世界の話です。

私(久末)が高校2年生の時に、はじめてアメリカに行った時も、そこは「ぼんやりとした世界」でした。

周りから聞こえてくる音で、はっきりと聞き取れるものがほとんどない世界。

たまに、自分に向かって話しかけてくれる人の英語は、「ああ、なんとなくわかる」という程度でした。

しかし、他人同士が話しているのを聞くと、まあ、ほとんど全て何を言っているのかが分かりませんでした。

そういう、音をハッキリと捉えられないような「ぼんやりとした世界」が、最初にありました。

「ぼんやりとした世界」にずっと居つづけていくことは、人によって異なるのかもしれませんが、私にとっては結構なストレスでした。

「1つ1つ、すべてをキチンと理解したい!」という欲求が出てくるのです。

しかし、はじめからそんなことができていたらアメリカに留学などしていませんでした。

ところが、ストレスがかかろうとも、そういう「ぼんやりとした世界」に居つづけていくと、そのうち、「あ、今のは分かった!」というように、部分的に見えてくるものが出てきます。

最初はそういうものが1つ、2つですが、次第に5つ、6つ、と増えていき、いつしか「半分くらい」はわかるようになってきます。

そこまでになるのにどれくらいの時間がかかるのかは分かりません。

個人差もあるでしょうし、年齢も関係があることでしょうし、周囲の環境や人間関係なども影響しそうです。

でも、「言語の修得」というものは、本来、そういう「ぼんやりとした世界」から始まるものではないでしょうか?

赤ん坊が「母国語」を身につけていくプロセスも同じような感じです。

「ぼんやりとした世界」が目の前に広がっていて、きちんと理解できるものなどほとんどない状態。

そこから始まって、「聞こえた音」をマネして言う、ということを少しずつ始めます。

そして、マネして言っても相手に通じない、という歯がゆい思いを何度も経験します。

相手に通じなくても、めげずに何度も繰り返し「マネして言う」ということをやっていくと、少しずつ「相手に通じる」という回数が増えていきます。

そうなってくると、「聞こえる音」の数も比例して増えていくのです。

聞こえる音の数が増え、そしてまたマネして言って相手に通じるという回数も増え、そうやって人は言葉を覚えていくのです。

では、英語はどうでしょうか?

英語圏の外国に出かけると、そこには「ぼんやりとした世界」が広がっていることでしょう。

あるいは、日本国内であっても、仕事などで「英語の会議に出席する」といった場面も同じような感じです。

周りはみんな英語を話しているのに、自分はほとんど聞き取れない。

そういうぼんやりとした世界に身を置くということは、ストレスもかかるし、自分はダメなヤツだと強烈に思わせられてしまうし、何より、とても疲れます。

でも、そういう「ぼんやりとした世界」に身を置き続けていけば、そのうち、聞こえる音の数が増えていくはずです。

それは「単語」かもしれないし、「フレーズ」かもしれないし、あるいは「文」かもしれません。

どんなレベルであったとしても、聞こえてくる音の数が増えてきたら、今度は「マネして言う」ということをしてみれば良いのです。

マネして言っても相手に通じない、という経験は、誰もが必ず通る道です。

「ぼんやりとした世界」にいるわけですから、「間違い」や「失敗」なんてものも当たり前に経験することでしょう。

英語を身につけていく上で必要なのは、「ぼんやりとした世界に身を置く」ということを実践しながら、同時に「単語を覚える」や「文法を理解する」や「英作文の練習をする」ということを繰り返すことです。

「ぼんやりとした世界」が周りにない、という人は、「映画」や「ドラマ」を見てみましょう。

日本語の字幕を見ながらでも構いませんし、字幕をオフにできるならそれでも構いません。

映画を見ながら、役者達が話す英語の全てを聞き取ろうと努力してみるのです。

そこにはきっと「ぼんやりとした世界」があって、最初は1つも聞き取れないかもしれません。

ですが、「ぼんやりとした世界」にいることの「ストレス」や「苦痛」や「疲労感」と戦いながら、そこに居つづけることがとても大切なのです。

「全部が分かってから次に進む」のではなく、「全然分からないけれど、とにかくぼんやりした世界に居つづけてみる」ということの方が、本来の言語習得の自然な姿に近いと言えるでしょう。

「単語」や「文法」や「英作文」を一生懸命にやっている人ほど、「ぼんやりと世界」に身を置くことによる効果を実感できるように思います。

是非、頑張ってみてくださいね。