<前回の続き>
(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズのこれまでの記事一覧はこちら。)
前回、「客観的な目で自分を観察する力」を養うには、どうしたら良いでしょうか、というところで終わりました。
「客観的な目」というのは、言うなれば、「想像力と思考力を使って自分の頭の中に作り出す目」ということです。
「客観的」の反対の言葉として、「主観的」という言葉があります。
まずは「主観」とは何か、というところを改めて考えてみましょう。
人には誰にでも自分自身の「目」というものを持っています。
これは文字通り「モノを見る目」ということでもありますが、同時に「物事に対する考え方」という意味でもあります。
目を閉じて、再び目を開けた時に真っ先に視界に入ってくる「映像」。
普通、その見え方が急激に変わることはありません。
これと同じで、ある事柄に対して、「自分はこう思う」と真っ先に思いついた考え方というのは、なかなか急には変えられるものでありませんね。
「実際に目から見える映像」にしても、「真っ先に思いつく自分の考え方」にしても、それはたいてい、「たった1つ」しかありません。
たった1つしかなく、さらに、ずっとそこに留まって動きません。
「ある1箇所にずっと留まっているもの」のことを、一般に「主」と言います。
「主」は「ヌシ」とも読まれますし、「アルジ」とも読まれますね。
そして、ある1箇所に留まって、いつも同じ映像や同じ考え方でモノを見ることを「主観」と言います。
主観は誰にでもあります。
私にもありますし、これをお読みの皆さんにも必ずあります。
主観は「目を開ければすぐに見える映像」だったり、「深く考えなくても真っ先に思い浮かぶ考え方」だったりするので、自分にとっては「自然」なものであり、またとても「楽(らく)」なものです。
さらに言えば、「目を開ければ必ず見える」のですから、「主観」によって見えるものや考え方というのは、「自分にとっては疑いようのない事実」でもあります。
ところが、何かに取り組んだり、誰かと意思疎通を図ろうとした時に、自分の「主観」というものが邪魔をして、事がうまく進まないということがあります。
そこで「客観」というものの出番となります。
次回は、「客観」について、少し詳しく考えてみましょう。
どうぞお楽しみに!
※記事をお楽しみ頂けましたら、以下のランキングにご協力をお願いします。
ポチッと押して頂ければ嬉しいです。(久末)