<前回の続き>
(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズの記事一覧はこちら。)
世の中には、たいていどんなことに取り組んでも「どんどんできるようになっていく」という人達がいます。
勉強にしろ、仕事にしろ、運動にしろ、創造的活動にしろ、「できる人」というのは、まるで「なんでもできるのではないか?」と思わせるくらい、どんどんできるようになっていきます。
その一方で、平均的な人に比べても「できるようになっていくのに時間がかかってしまう人」もいます。
人よりも努力家で、一生懸命で、真面目であるにもかかわらず、なかなかできるようにならない。
私(久末)はこれまで多くの人に英語を教えてきましたが、当然、「なかなかできるようにならない」という人もたくさんみてきました。
「どんどんできるようになっていく人」と「なかなかできるようにならない人」を比べてみると、もちろん一概には言えない部分はあるのですが、結局のところ「考える」ということの「質」が良いか悪いか、という違いに行き着いてしまう気がします。
「考える」というのは、健康な脳さえあれば、誰でもできる行為です。
しかし、同じ「考える」でも、「観点の多さ」と「思考の深さ」によって、考えるということの「質」も全然違ってきます。
「どんどんできるようになっていく人」は、考えるということの「質」が良いのだろうと思います。
つまり、「観点の数が多い」ということに加え、「思考の掘り下げ方が深い」ということです。
観点の数が少ない、あるいは思考の掘り下げ方が浅い、という人は、同じ「考える」でも、あまり質が良いとは言えません。
では、「考える」ということの質を高めていくにはどうしたら良いのでしょう?
その答えの1つが、「why」という言葉です。
前回も書きましたが、「why(なぜ)」という疑問詞は、他の疑問詞(「who」「whose」「whom」「when」「where」)にはない「特殊性」があります。
「why」という「疑問文」に対し、誰かが答えを出そうとしたとします。
他の疑問詞と違って、「why」に対する「答え」というのは、多くの場合「1つ」ではありません。
「why」と尋ねられ、答えを「1つ」出したとしたら、「それ以外の答えはないだろうか?」と問いかけることができます。
そして、「2つ目」の答えを出したならば、「さらに他の答えはないだろうか?」と問いかけることができます。
1つの「why」に対し、いくつもの「答え」を出すことができたとしたならば、それは「観点の数を増やすことができた」ということになります。
逆に言えば、1つの「why」に対して、「1つの答え」しか出せなかったとしたならば、それは、物事を考える際の「観点の数が少ない」ということです。
「why」という疑問詞を使えば、「考える」ということをする際の「観点の数」を増やす練習になります。
これが「why」という言葉の特殊性「その1」です。
では、「why」が持つ、もう一つの特殊性とは一体なんでしょうか?
それは、「why」という問いかけに対して、「1つの答え」が得られたとしたならば、その答えに対して、さらに「why?」と尋ねていくことができるという点です。
例えば、前回、次のような例を挙げました。
「なぜ彼は、これほどたくさんミスをするのだろう?」
これに対する答えとして、例えば、以下の「5つ」の答えが挙がったとしましょう。
1. 急いでやったから。
2. やった後で、確認をしなかったから。
3. なんのためにその仕事をやっているのか、よく理解していなかったから。
4. ミスをしたところに関しては、誤った解釈をしていたから。
5. ミスのことなど気にも留めようとしていないかったから。
「why」という言葉は、「得られた答え」に対して、さらに追い打ちをかけて「why」と尋ねていくことができます。
1. なぜ彼は、急いでやったのですか?
2. なぜ彼は、やった後で、確認をしなかったのですか?
3. なぜ彼は、なんのためにその仕事をやっているのか、よく理解していないのですか?
4. なぜ彼は、ミスをしたところに関しては、誤った解釈をしていたのですか?
5. なぜ彼は、ミスのことなど気にも留めようとしていないかったのですか?
「答え」として挙がってきたものに対して、さらに追い打ちをかけて「why」という疑問文を作ることができます。
するとどうなるでしょう?
「1. なぜ彼は、急いでやったのですか?」という疑問文に対して、今度も「2つ以上の答え」を出すことができそうです。
「時間がなかったから」「早く終えたかったから」「早くやるのが良いことだと思っていたから」など、いくつも答えが出てきます。
そうすると、出てきた答えに対して、また、「why」という疑問詞で問いかけることができます。
「なぜ、彼は時間がなかったのですか?」
「なぜ、彼は早く終えたかったのですか?」
「なぜ、彼は早くやるのが良いことだと思っていたのですか?」
一番最初の質問は、「なぜ彼は、これほどたくさんミスをするのだろう?」だったのですが、答えを出せば出すほど、「さらなる疑問文」を作り出すことができてしまうのです。
つまり、こうして「さらなる疑問文を作る」という行為によって、考えるということをする際の「深さ」というものがどんどん深くなっていくのです。
「why」という疑問詞を使えば、「観点の数」を増やすだけでなく、考えるという行為の「深さ」を深くしていくことができるのです。
「なぜ?」という問いかけに対し、「1つの答え」が出たところで満足してしまってはいけません。
「なぜ?」に対して「1つの答え」を出したとしても、その答えに満足することなく、どんどん「他の答え」を探していく。
そして、いくつも答えを出した後で、こんどはそれぞれの答えに対して、さらに追い打ちをかけて「なぜ?」と問いかけていく。
観点を増やし、深さを掘り下げていくということをたくさん練習した人は、「考える」という行為の「質」を高めていくことができます。
これは、健康な頭さえあれば、誰でも練習できることです。
健康な身体さえあれば、誰でも筋トレすることができる、というのと同じです。
その練習をすれば「できる人」に近づいていきます。
誰でも「できる人」になれる、ということです。
さて次回は、最後の疑問詞、「how」について考えてみたいと