頭の使い方には、主に「2つ」あるように思います。
1つは「記憶」であり、もう1つは「思考」です。
「記憶」も「思考」も、大人になって自分の人生を自分で決めて生きていくようになってから必要になるものです。
しかし、一般に学校での教育方針は、どうも「思考力を伸ばそう」とするよりも「記憶力を伸ばそう」としているのではないかと思えて仕方がありません。
その証拠に、今、うちの教室に通っている中学生や高校生を見ていると、学校の試験をとにかく「記憶力だけでなんとかしよう」と思っている人がほとんどです。
「記憶」も「思考」もどちらも大切なはずなのに、「記憶」に大きく偏ってしまい、結果そのことでずいぶん苦労している学生がたくさんいるのではないでしょうか?
<アメブロからの続きはここから>
記憶力を使って何かを覚えたり思い出したりする、ということはとても重要なことです。
大人になって仕事をする時にも、当然、この能力は必要となります。
答えが初めから用意されており、それが与えられて、それをひたすら覚える。
仕事をこなす上で、そうしたことが要求されることもあります。
しかし一方で、答えが用意されているわけではなく、あるいは誰も答えを教えてくれるわけでもない、そんな状況において、何とか自分で答えにたどり着かなくてはならないという状況も多々あります。
そのような時に必要なのが「思考」というものです。
思考というのは、1つの事柄をスタートとして、頭の中で、そこから別のものにどんどんつなげていくという活動のことです。
頭の中の「思考」を使って、1つのことから、別のことへとつなげていく力。
そういう力こそ、大人になってから大いに役立つはずです。
しかし、学校ではそういう力を伸ばそうとしているようには見えません。
いや、伸ばそうとしているけどあまりうまく行っていない、ということなのかもしれません。
学生達に答えを与え、「覚えなさい」と言い放ち、それを「テスト」という形で確認している、というのが多くの学校での試験の姿ではないでしょうか。
学生達は、大量に与えられた情報を「記憶」しようとし、それがうまくできる人は良い成績が取れ、逆にそれがうまく行かない人は悪い成績となる、という状況を当たり前だと思っています。
しかし、大人になってから、社会に出て働く時にはそんな風にはいきません。
与えられた答えをひたすら覚えていけば、仕事において良い評価が得られる、などということはありません。
学生時代に成績が良かったとしても、「記憶」に大きく偏っていた人は、大人になってから「思考」することを求められた時に、きっと困ります。
恐らく、既にたくさんのそういう人達が、今、社会に出て困っているのではないでしょうか。
その原因の1つに、学校での「記憶重視」の教育方針があるように思うのです。
学校という場には色々なしがらみがあるのだろうと想像できますが、それでも、学校教育の現場にいる教員達は、学生達の「思考力」をどのようにして伸ばすことができるのかを真剣に考えなくてはなりません。
そのためには、教員達自身が「思考力」を高めて行くということが必要です。
思考力の優れた指導者こそが、学生達の思考力を向上させる方法や取り組みを考え出すのではないかと思います。