「時間をうまく使う方法」というテーマで、いよいよ本題に入ろうかと思います。

「時間が足りない」ということをしょっちゅう口にしている人は、そのセリフを言っている時、たいてい「楽しそう」ではありません。

ふつうは「苦しそう」に、あるいは「辛そう」に「時間が足りない」とこぼします。

もちろん、世の中には「楽しいことをしているから、そのための時間がもっと欲しい」という意味で「時間が足りない」と言っている人もいます。

ですが、ほとんどの場合は「(やりたくはないけれど)やらねばならないことが多くて、それ以外のことをやる時間が取れない」という意味で「時間が足りない」と言っているのです。

多くの場合は「やらねばならないこと=仕事」と考えて差し支えないでしょう。

つまり、「仕事の時間」が多いから、「仕事以外の時間」が取れない、ということなのです。

では、「仕事以外の時間」とは何でしょうか?

それは、ズバリ「遊びの時間」です。

あるいは「自分のための時間」や「好きなことをやる時間」と言っても良いでしょうが、ここでは敢えて、「仕事の時間」に対して「遊びの時間」と呼ぶことにします。

自分のための「勉強の時間」も、自分から進んでやっていることならば、ここでは「遊びの時間」として考えましょう。

また「仕事」は「仕事」でも、「仕事が好きだ」という場合には、それは「遊び」として捉えることにします。

同じ職場で働いているにも関わらず、「仕事の時間」によって「遊びの時間」がとれない人もいれば、きちんと「遊びの時間」を確保している人がいます。

私の以前の上司は、完全に「後者」の人間でした。

仕事なんか早く終わらせて、家に帰って一杯やりたい!というのが口癖(&実行)の人でした(笑)。

時間をうまく使う人は、「遊びの時間」にこそ、非常に「高い価値」を見出します。

「遊びの時間」こそが、自分にゆとりを与えてくれ、休息を与えてくれ、そして翌日の「仕事の時間」に対するより大きな活力を与えてくれると信じています。

だから時間をうまく使う人は、「遊びの時間をなんとか死守しよう」と考えます。

ところが、時間をうまく使えない人は、「遊びの時間」を持つくらいなら、その分「仕事の時間」に当てた方が「仕事がたくさんこなせる」と信じています。

「遊びの時間」というものを「さぼっている時間」や「怠けている時間」のように捉えてしまい、「何も生み出さない無意味な時間」として考えてしまっているのです。

だから、「遊びの時間」という「悪者」扱いにしている時間を、より創造的で建設的な「正義」の時間である「仕事の時間」に当てたがるのです。

「遊び=悪者」で「仕事=正義」のように、「勧善懲悪」の極端な世界観に生きる人はこの傾向が強く出ます。

しかし、結局は、「遊びの時間」を大切にしていない人の方が実際にこなす仕事量は少なく、逆に私の前の上司のように「遊びの時間」を大切にしている人の方がより多くの仕事をこなしているのです。

この話は、「人の価値観」に関わる話です。

なので、「遊びの時間を大切にすれば、より多くの仕事がこなせる」とは考えられない、という人もいることでしょう。

「それは能力がある人だから言えるのだ」という反論も聞こえてきそうです。

ですが、時間をうまく使う人ほど、決まって「遊びの時間を大切にしなさい」と言います。

人は、自分の「価値観」によって、何かを決めたり、行動したりします。

その自分の価値観が、「遊び=悪者」「仕事=正義」という極端なバランスになってしまっていると、いくら「時間をうまく使う方法」を知識として知ることができても、絶対に「行動に移す」ということはできません。

時間の使い方がうまくない人は、まずは、自分の内側にある価値観というものを客観的に観察してみて、「遊び=悪者」「仕事=正義」という極端なバランスになっていないか自問してみると良いでしょう。

もちろん、だからと言って「遊び」が常に「正義」というわけでもありません。
「遊び=悪者」「仕事=正義」という価値観があっても良いのです。

「遊び」は「悪者」にもなり得るし、「正義」にもなり得る。
「仕事」もまた、「悪者」にもなり得るし、「正義」にもなり得る。

このような「矛盾」とも言えるような相反する考え方を受け入れることが、非常に重要なのです。

物事を「0か100」あるいは「白か黒」のように決めつけたがる人や、いったんそう決めたら逆の価値を絶対に認めない人は、時間の使い方だけでなく、人間関係などでもあまりうまく問題を処理できない傾向にあると言えます。

そういう人は、自分のことを「あまり能力が高くない」と思っていたりします。

しかし、私から見れば、「十分に能力は高いはずなのに」と思えてしまう人が、実際には自分の能力に自信も持てずに苦しんでいることがあります。

そういう場合、たいていその人は「極端な価値観」にとらわれているように思われます。

時間をうまく使えるようにするだけでなく、自分の能力を高める(あるいは自分の能力は高いと認識する)ための第一歩は、物事に対して「極端な価値観」を持っていないかどうか、自分の「内側」を見直すことなのです。

「自分が信じることを疑ってみる。」
「自分が疑うことを信じてみる。」

左右に異なる価値をそれぞれ置きながら、やじろべえのように右や左に行ったり来たりして、左右でバランスを取る人の方が、あらゆる物事をうまくこなしていけると言えます。

このことを見つめ直してみるだけでも、時間の使い方がうまくなるかもしれません。

「時間が足りない」と辛そうに言っている人は、是非、自分の内側を見つめ直して、このことを考えてみてはいかがでしょうか。