ちょっと書店へ行くと、「英語コーナー」のようなものがたいていありますね。

この「英語コーナー」の充実度は、書店によって様々ですが、かなり充実したところでは、「音読が良い」ということを訴える書籍が置かれていることがあります。

しかし「音読は良い」と訴えること自体は大変「良い」ことだと私も思うのですが、「音読」を「音読」で止めていては、学習効果は「半分以下」と言えます。

「音読」をさらに進化させて、その上のステージである「暗唱」まで持って行くと、「音読」では決して得られない「ネイティブ感覚」を身をもって知ることができるようになります。

「音読」と「暗唱」の違いは、「文字を見て発音する」か「文字を見ないで発音する」かの違いだけです。

たったそれだけの違いですが、「音読と暗唱」では、「子猫とトラ」ほどの大きな違いがあります。

「暗唱」というものを実践し、さらにそれを「何度も繰り返す」ということを続けていくと、それがいつしか「大きな力」となります。

まず、「暗唱」の手前の段階である「音読」について考えてみましょう。

「音読」で使われる英文は、「文章そのもの」はネイティブが書いた「本物」と言えます。

さらに「音読」の時点で、「発音の技術」を身につけていけば、ネイティブの発音に近い音を出せるようになります。

つまり、「音読」というものを完全にこなしていくこと自体が、既に「ネイティブが書くような文章を、ネイティブが発音するような音で出す」ということができるということになるのです。

その「本物のネイティブ」の感覚を持ったまま、「文字」すらも「自分の頭の中」に取り込んでしまえば、外から文字を入れることなく、「本物のネイティブ」と同じような感覚で「音を出す」ということができるようになるのです。

この感覚は、もしかしたら、実際に「暗唱」というレベルまでやったことのない人には掴みづらいかもしれません。

しかし、「日々の生活」の中に「暗唱」を取り入れることに成功すれば、それこそ「日々の生活」の中に「本物のネイティブの感覚」を取り入れることに成功したのと同じことになるのです。

これは、「ネイティブと会話する」という形式で「自己流の(半分以上間違った)英語を鍛える」なんていう中途半端なものではなく、

「自分自身が本物のネイティブの感覚で話す」という、非常に「ハイクオリティ」な学習方法と言えます。

「ハイクオリティ」で、かつ「大量」に実践することが可能となる唯一の学習法。

それが「暗唱」なのです!

「英語は音読が良い」と思って、「音読」までで留めている人は、もう一歩上の「暗唱」にまで、是非手を伸ばして頂きたいと思います。

「音読」では決して得られなかった感覚が、「暗唱」ではきっと感じ取れるはずです。

では、「音読」の状態から、どのようにして「暗唱」にまで発展させれば良いのでしょうか?

それはまた次回書きますね。
どうぞお楽しみに!