本校に通う中学生や高校生、さらには大学生までを見ていると、信じられないくらい「考える」ということをしない生徒がいます。
「信じられないくらい」というのは、本当に信じられないくらい、です。
例えば、「この話の要点を、ノートの4分の3ページでまとめなさい。」という指示を生徒にしたとします。
そうすると「4分の3ページ」がどれくらいなのかが分からない、という生徒がいます。
「4分の3」が「4つに分けたうちの3つ」ということは「頭」では知っているのですが、それがどれくらいなのかが「直感的」には分からないのです。
「4分の3ページ辺りって、パッと見て、どの辺り?」と生徒に尋ねると、「この辺?」と言いながら、全然違う辺りを指します。
「どうしてその辺りだと思うの?」と尋ねると、「まず、ノートを4つに分けて…」と言いながら、上から適当なところで「この辺が4分の1です。」と指します。
しかし、それもまた「4分の1」とはだいぶ違った辺りを指しています。
私は同様のやり取りを、複数の生徒と、それぞれ別の時にしました。
生徒達が示し合わせているのではなく、「そういう子」が多いのです。
「4分の3」を割り出す時に、「まず4等分します」という子が多いのですが、「4等分」をいきなりやるのではなく、まずは「半分」にするのが分かりやすいはずです。
「全体を半分に分け、それからそれぞれをまた半分に分ける」ということをやれば「4等分」になりますが、そうではなく「4分の1」をなんとなく差しながら、「それを3つ分」という感じで「4分の3」を割りだそうとしているのです。
「半分の半分を割り出して4分の3を見いだす」のと「4分の1を見つけて、それを3倍にして4分の3を見いだす」のは、結果的には同じかもしれませんが、イメージが全然違います。
例えば、以下の線分を見てください。
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この線分を見て、いきなり「この辺りが4分の1である」と分かる人はどれくらいいるでしょうか?
それよりも、「これの真ん中(=半分)はどこか?」を割り出してから「その半分」を割り出した方が遙かに分かりやすいと言えます。
その方が、よりシンプルに、かつより正確に「4分の1」を割り出すことができます。
さらに言えば、「前(あるいは上)から4分の1」を示すことができれば、それが結果的には「後ろ(あるいは下)から4分の3」となります。
こうしたことは、「少し考える」ということをすれば「当たり前」なことですが、今の子供達は、そうした「当たり前」なことですら考えない、ということです。本当に「信じられないくらい」に考えていないのです。
「考える」ということをしない人は、与えられた課題を「そのままこなそう」としがちですが、考える人は「どうしたら簡略化できるか」ということを最初に考えてから取り組みます。
「どうしたら簡略化できるかを考える」ということは、大人になって社会に出てからも必要な能力と言えます。
これは「勉強の仕方」にも通じるところがあります。
「考える」をせずに、「与えられた課題をそのままの形でこなそう」とする人は、「簡略化すればカンタンに処理できるはずのこと」であっても、大変な労力をかけ、時間をかけ、そして、さほど正確ではない形で終えてしまうのです。
与えられた課題を、よりシンプルに、かつ、より正確に終えるためには、まず「考える」ということをすべきです。
「まず取り組む」のではなく、「まず考える」というプロセスを1つ挟むだけで、「時間」や「労力」を節約し、さらには「より高い完成度」と「より深い定着率」を実現することができます。
特に、「時間」に関しては、「考えることによるメリット」は計り知れません。
定期試験のための勉強であろうと、高校入試や大学入試の受験勉強であろうと、多くの学生たちにとって「時間」は大事な要素の1つです。
時間がいくらでもある、というのなら良いかもしれませんが、たいていは「時間が足りない」という状況に陥ります。
「どうしたら簡略化できるか」ということを自分で考えることができる子供は、その分だけ「時間を節約」することができます。これは大きなメリットです。
自分の子供や生徒が「考える」をせずに、与えられた課題に「そのまま」の形で取り組もうとしているとしたら、それは要注意です。
「うちの子は不器用だから」とカンタンに諦めず、「そのままやるよりも、効率的なやり方があるはずだ」ということを、子供や生徒に問いかけてやることが、「未来につながる教育」と言えるのではないでしょうか。
<続く>