普段から「考える」ということをたくさん実践している人は、どうやら、自分の中に何かしらの「疑問」が沸いてきた時に、「まずは誰かに聞く」のではなく、「まずは自分で考える」ということを癖づけているようです。

「まずは誰かに聞く」ということをする人は、その度に「考えるチャンスを失う」ことになってしまいます。

このことは、「自立心」というものと関係があるように思われます。

本校に通う小学生、中学生、高校生、あるいは大学生や大人でも、「まずは自分で考える」ということをしようとしない人が結構たくさんいます。

「自分で考えれば分かること」であっても、すぐに誰かに聞こうとする。

すぐに誰かに聞こうとするのは、普段から、「自分で考えなさい」と突き放されることがないからかもしれません。

社会人になって、初めての職場で働き始めると、「分からないこと」がたくさん出てきますが、何でもかんでも人に聞こうとする新入社員は、そのうち「自分で考えなさい」と上司や先輩に突き放されることでしょう。

もちろん、「分からないことは教えてあげよう」という意識は、上司や先輩たちにも最初はあるでしょうけれど、どんなことにも「限度」というものがあります。

「自分で考えなさい」と突き放された新入社員は、そこでようやく「自分で考える」ということを始めるかもしれません。

ところが、新入社員の時点で、既に「まずは自分で考えよう」という癖が身についている人は、何でもかんでも上司や先輩に質問しようとはしません。

たぶんそういう人は、社会に出る前に、「自分で考えなさい」と突き放された経験があるのだろうと思います。

そういう「突き放し」を誰がするかと言えば、親や兄弟姉妹などの「家族」でしょう。

親や兄弟姉妹に甘やかされ、「自分で考えなさい」と突き放されたことがない人は、「まずは人に聞こう」という癖が身についてしまうかもしれません。

言うなれば、「精神的な自立」というものが芽生えていない人は、「まずは自分で考える」ということをせず、ひいては「考えるチャンスを失う」ということを何度も繰り返してしまう可能性があります。

その結果、「賢い人」には到底なることができず、社会に出てから苦労する、ということになってしまうのです。

自分の子供を「賢い人」になるように育てるためには、「自分で考えなさい」と突き放すことも、時には必要なのかもしれません。

 

<続く>