「素直である」ということは、言い換えるならば、「自分の考えを持たない」あるいは「自分の考えを主張しない」ということです。
「自分の考えを持っているけれど、それを主張しない」というケースであればまだマシかもしれません。
少なくとも「自分の考え」を持っているのですから。
ところが、最初から「自分の考えを持たない」というケースは要注意です。
ある程度の年齢、例えば、小学校高学年にもなれば、自分を取り巻く周囲の様々なことがらに対して「自分の考え」というものを持っていても不思議ではありません。
ところが、そういう年齢をとっくに過ぎているにも関わらず、「自分の考えを持たない」という場合には、普段から「自分の考えを持とうとしていない」ということが疑われます。
なぜ、自分の考えを持とうとしないのか?
おそらく、「自分の考えを持つ必要がない」からです。
そのような状況を作っているのは、周囲の人間、たいてい「親」だろうと思います。
周囲の人間(=親)が「自分の考え」を子供に伝え、子供はそれをそのまま素直に「ハイ」と受け止める。
子供が小さいうちはともかく、少しずつ子供にも自我が芽生え始めてきても、周囲の人間(=親)がずっと同じように子供に接してしまうと、「自分の考えを持つ必要がない状況」を作り出してしまいます。
その結果、「自分自身の考えを持とうとしない子供」すなわち「素直な良い子」ができあがるのです。
「素直な良い子」は、人から好かれやすいというメリットを持ちますが、その一方で「自分で考えることが苦手である」というデメリットも持ちます。
現に、本校に通う小学生、中学生、高校生のうち、「考えるのが苦手である」という生徒は、みんな揃って「素直で良い子」です。
「素直で良い子」は、考えるのが苦手であることから、学校の勉強でも「教わったものをそのまま何の疑いもなく覚える」ということをやります。
「考える」のと「覚える」のとでは、「考える」の方がよりハイレベルな頭の使い方であると言えます。
ところが、「素直で良い子」は「覚える」ということばかりに頭の使い方が偏ってしまうので、言うなれば「お馬鹿さん」となりがちなのです。
世の中の「親たち」は、我が子を「賢い人」に育てたいと思っていることでしょう。
しかし、子供に「子供自身の考え」を持たせようとせず、親の考えを子供に従わせようとする親はたくさんいます。
そして、親の考えに対して、子供が「素直」に従うことに満足してしまっている親もたくさんいることでしょう。
子供を「素直な良い子」に育てることが、結果的に我が子を「お馬鹿さん」に育ててしまっていると気づいていないです。
ですが、声を大にして言いますが、「素直な振り」をしている子供はまだしも、本当に心の底から「素直な良い子」は、親が思っている以上に「お馬鹿さん」になってしまっている可能性は高いです。
自分の子供を見て、「素直な良い子」だと感じたならば、「素直であること」を褒めすぎるのはよくありません。
「お前はどう思うんだい?」と尋ね、子供に「自分の考え」を持たせようとすることが、我が子を「お馬鹿さん」に育て上げないために重要なことかもしれません。