<前回の続き>
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心の健康を損なわないために、何をどうすれば良いのかを考えていくこのコーナー。
以前も書きましたが、「考え方に極端な偏り」があると、うまくバランスが取れなくなり、自分自身が苦しくなることがあります。
今日は「切り捨てる」ということについて考えてみたいと思います。
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人は生活の中で、「これをやろう」とか「これはやらないでおこう」といった決断をたくさんします。
限られた時間の中で、やるべきことと、やるべきではないことをキッチリと分けておくことはとても大切なことです。
ところが、「これはやる」と「これはやらない」という線引きをする際、「真逆の考え」を取り入れずに決断することが多いとしたら、それは問題です。
人が自分の行動について「やる」か「やらない」かを決めるのは、「感情」と「理性」の両方の価値基準によるものです。
まずは「感情」によって、「プラス」と感じられるのか、それとも「マイナス」と感じられるのか、というのが「やる」か「やらない」かの決定に大きく影響を及ぼします。
しかし、知性のある人間ならば、そこに「理性」というものが出てきます。
「感情」には理由がないので、自力でコントロールすることは困難です。
ところが「理性」というものには理由があるので、「プラス」と「マイナス」の両方を考えていくことができます。
以前も「感情」と「理性」に関することは、このブログ上で書きました。
「感情」だけで判断すると、自分がいったん「プラス」と感じられたものは「やる」と決まりますが、いったん「マイナス」と感じられたものについては「やらない」ということになり、どちらにしても「やる」と「やらない」が逆転することはありません。
しかし、「理性」というものが出てくれば、それは「プラス」と「マイナス」の両方を考えることができるので、仮に「感情」で「プラス」と思えたものであっても、「理性」によって「マイナス」の側面が捉えられれば「やらない」という決断に切り替わる可能性が大いにあります。
同じように、「感情」で「マイナス」であっても、「理性」で「プラス」の側面を捉えたならば、「やる」という決断に切り替わることもあります。
自分の行動について、「やる」と「やらない」の根拠が「感情」に偏ってしまっていると、大きな落とし穴にはまってしまうことがあります。
あるいは、「理性」を使ったとしても、「自分が最初に思いついた考え」とは逆の考えを見いだせなかったとしたら、これまた大きな落とし穴にはまり兼ねません。
「やる」か「やらない」かを決定する時に、「理性を使って、逆の考え方に目を向ける」ということをしている人は、落とし穴に落ちる前に、自分で問題を回避することができます。
何かを「やる」と決めたとしたならば、「やることのメリット」だけを見るのではなく、「やることによるデメリット」も見るべきです。
逆に、何かを「やらない」と決めたならば、「やらないことのメリット」だけではく、「やらないことによるデメリット」も見るべきなのです。
「理性」を使って、「逆」の見方をした上で「やる」か「やらない」かを決定していくのならば良いのですが、「逆」の見方をまったくせず、主観に偏った見方だけで自分の行動を決定していくのはとても危険です。
特に、「これはやらない」ということをばっさりと切り捨てるように即決してしまう人は要注意です。
「切り捨てる」ということは、そのこと自体にメリットを見いだせないということかもしれませんが、どのようなことにも必ず「メリットとデメリットの両方」があるものです。
「デメリットしか見つからないから切り捨てる」ということを頻繁にやるような人は、「一度切り捨てたものは、もう戻って来ないかもしれない」というリスクについてよく考えるべきです。
心の健康を損ねてしまう人の中には、時々、このように「ばっさり切り捨てる」ということを平気でやる人がいます。
「やる」という決断をくだすのも慎重になるべきですが、「やらない」という決断、つまり切り捨てるという決断をする際には、本当に注意をしましょう。
これは自分の行動に限った話ではなく、「人との付き合い」においても関係があります。
「あいつとはもう付き合わない」というように、その人との付き合いをばっさり切り捨ててしまう人がたまにいますが、いったん切り捨てた人脈はもう戻って来ません。
その人と付き合っていくことで、どのようなメリットがあるのか、決断をする前に、自分自身に「待った」をかけて考えてみると良いかもしれません。
片方しか見ていない人はバランスが悪い。
バランスが悪いことが、自分の心の健康を損ねてしまう原因となり得るということを忘れないようにしましょう。
<続く>
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