「考える」ということができる人のことを想像してみると、「頭の回転が速い」というイメージを思い浮かべてしまうかもしれません。
しかし、「考える」ということが苦手な人は、頭の中の回転スピードを、決して速くしようとしてはいけません。
むしろ、普段よりも「ゆっくり」にするように心がけた方が良いと言えます。
本校では、英語学習のために、「単語」「文法」「発音」の3つを全て指導しています。
このうち、「文法」というものを身につけていくためには、「覚える」のではなく「理解する」ことが重要です。
「理解する」ということは、つまりは「考える」ということをしなくてはなりません。
「文法が苦手だ」という生徒達は、たいてい「考える」ということも苦手です。
そして、「考える」ということが苦手だという人には、どうやら、「せっかち」であったり「早とちり」であったり「面倒くさがり」であったりという点が共通しているようです。
本校では「文法書」を使い、「このページのここからここまでを読んでください」といった指示を生徒に出します。
生徒は、文法書の該当ページを読むわけですが、「読み終わりました」と生徒が言った後で、私は生徒に「では、今、読んだ内容を説明してください」と求めます。
生徒は、たった今、自分が読んだ内容を「口頭」で説明するのですが、それが「全くの見当違い」であることがあります。
「ちょっと違っている」とか「ちょっと不十分だ」とかであればまだ良いのですが、「全くの見当違い」であるのは問題です。
全くの見当違いをしてしまう人は、文法書の説明を読むときの「頭の中」のスピードが速いのです。
たいていどんなことにおいても、「精度の高さ」と「スピードの速さ」の間には「反比例」の関係が成り立ちます。
つまり、「精度が低い」ということは、その人の頭の中で、その人が「正しく理解する」ということができるための「スピード」を超えてしまっているのでしょう。
そういう人が「正しく理解する」ということを実践するためには、むしろスピードを抑え、「ゆっくり」と頭の中を回転させるようにすべきです。
ところが、そもそも、その人の性格が「せっかち」であったり「早とちり」であったり「面倒くさがり」であったりすると、「ゆっくりにする」ということ自体がとても苦痛のようです。
頭の中のスピードをゆっくりにすることさえできれば、「正しく理解する」ということもできるようになるはずですし、理解するまでの時間も、結果的には短くなります。
逆に頭の中のスピードをゆっくりにすることができないままでは、「正しく理解する」というところにたどり着くまでに、結局は長い時間がかかってしまうのです。
「早く理解しよう」としているのに、「理解までに時間がかかる」というジレンマに陥ってしまう、というわけです。
なので、「自分はせっかちだ」や「自分は理解に時間がかかる」ということを自覚している人は、「考える」ということを実践するために、「頭の中のスピードをゆっくりにする」ということを意識してみると良いでしょう。
<続く>