教師は、学生達に「情報を教える」ということをやりながら、同時に学生達に「教わったことを覚えなさい」と言います。
学生達も、教師から「教わったこと」をそのまま「覚えよう」とします。
これのどこがいけないのでしょうか?
私自身、学生時代には「教わったことをそのまま覚える」ということをたくさん実践してきましたし、そういうことが上手くできる人ほど「良い成績」を収めることができる、と思っていました。
「苦手な科目」であれば、自分が「なかなか覚えられない」ということに対して苛立ちも覚えましたし、簡単に覚えられてしまう人をうらやましくも思いました。
しかし、大人になって、社会に出て、社会人として働いてみると、「教わったことをそのまま覚える」ということよりも大事なことがある、ということに気がつきます。
それは、「答えを誰かに教えてもらう」ということではなく、「自分で考えて、自分で答えにたどり着く」ということです。
そこには、「因果のつながりを見いだそう」とする姿勢が求められます。
「因果のつながり」というのは、「AだからBである」のような「原因」と「結果」のつながりのことです。
例えば、本校の発音レッスンで、「n」の発音の仕方を生徒に教えたとします。
「on」とか「and」とかのように、「n」が使われている単語はたくさんあります。
「n」は[n]という発音記号に対応することが多いのですが、[n]は「唇を閉じない」で発音するのが正しい発音となります。
「n」という文字は、日本語の「ローマ字」でも使われます。
ローマ字で「n」が使われるのは、五十音の最後の「ン」ですが、それだけではなく、「ナ行」でも「n」の文字が使われます。
「ン」で考えていくと分かりづらいのですが、「ナ行」で考えていけば簡単です。
「ナ行」の文字、すなわち「ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ」という文字を、実際に声に出して発音してみれば良いのです。
「ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ」と発音してみると、「唇を閉じないで発音する」ということが分かります。
つまり、[n]の発音記号に対応している「n」という文字は、「唇を閉じず」に発音されるということになるのです。
この説明には「因果のつながり」があります。
1. 「n」の文字は、日本語のローマ字で言えば、「ナ行」で使われる.
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2. 「ナ行」の文字は、具体的には「ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ」である。
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3. 「ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ」を自然に発音してみると、「唇」が閉じないことが分かる。
↓
4. 「n」の文字を発音する際には、「唇」を閉じない。
この4つの流れのうち、「1と2の間」にも、「2と3の間」にも、そして「3と4の間」にも、それぞれ「因果のつながり」があります。
このような「因果のつながり」を丁寧に頭の中でつないでいくことができれば、「n」の文字を発音する時には「唇」を閉じるのか、閉じないのか、ということを簡単に思い出すことができます。
ところが、上記の「1〜4」のうち、最後の「4」だけを「そのまま覚えよう」としてしまうと、ある程度の時間が経った後では、「あら?どっちだったっけ?」と分からなくなってしまう可能性が高いのです。
「1〜4」の情報を頭の中でつなぎ、つまり「考える」という行為を伴った上で「4」を覚えたならば、多少時間が経っても「思い出す」ことができます。
しかし、因果のつながりを頭の中で見いだそうとせず、「教わって覚えたはずのことをなかなか思い出すことができない」という学生はたくさんいます。
「nの発音は唇を閉じるのか、閉じないのか、どっち?」と尋ねたとき、以前にこのことを習ったにも関わらず「唇を閉じて発音します」と答える学生がいるのです。
この学生は、普段から「因果のつながりを見いだそう」とせず、単に「教わったことを覚える」ということばかりに意識が向いてしまっているのでしょう。
そのような学生は、たいてい「素直で良い子」です。
「素直で良い子」というのは、私に言わせれば「褒め言葉」ではありません。
「素直で良い子」は、たいてい賢くありません。
「素直で良い子の振りをしている」ということであれば、賢い可能性もありますが、本当に心の底から「素直で良い子」は、言い換えるならば「自分で考えるということをしないお馬鹿さん」である可能性が高いと言えます。
「素直で良い子」を作り出しているのは、当の本人というよりも、むしろその周辺にいる「大人達」、つまり「教師」や「親」です。
多くの大人達は、「素直で良い子」が好きです。私も、好きか嫌いかで言えば、「素直で良い子」は好きです。
しかし、大人達から見て「好感が持てる」ということと、「その子を賢い人間に育てる」ということは全く別のことです。
自分の生徒や自分の子供を「賢い人間」に育てたいならば、「教わったことを覚えなさい」と言うのではなく、「どうしてそういう答えになったのか、因果をつないで考えなさい」と問いかけるべきです。
そして、「因果をつないで考える」ということを普段から実践している学生達は、覚えたことを思い出すことが楽になり、ひいては「良い成績を収める」という結果を残しやすくなるのです。
因果のつながりを見いだそうとして考えるという行為は、ある意味「面倒くさい行為」であるかもしれません。
しかし、因果のつながりを見いださずに「教わったことをそのまま覚えよう」としているうちは、「時間が経ったら簡単に忘れる」というリスクを負わなくてはならないのです。
面倒くさくても、「因果のつながりを見いだそうとする(=考えようとする)」ということと共に何かを覚えていけば、「忘れにくくなる」や「思い出しやすくなる」といった良い結果につながります。
「教わったことをそのまま覚えなさい」ということを助長する教育は、結果的に「考えることをしないお馬鹿さん」を育てるような教育であり、それ自体が「お馬鹿さん」と言える「ダメな教育」だと激しく思います。
<おしまい>