英語ができるようになりたい、外国語ができるようになりたい。
そういう願いを心に秘めたまま、もう何年も過ぎてしまった、という人も少なくないでしょう。
外国語ができるようになるには、それなりの犠牲を払わなくてはなりません。
「時間」や「お金」や「体力」や「精神力」など。
こういった犠牲を払った人だけが、外国語を身につけていくわけです。
(まあ、外国語に限らず、何でもそうですけれど。)
外国語を身につけるには、何よりも「音」が大切です。
そりゃあ、文法や単語の勉強も大切ですが、それ以上に「音」の学習がなければ、とても無理です。
で、「音」の学習をしよう、ということで、「音ばっかり」をやるのもいけません。
「音ばっかり」では効率が悪く、えらい時間がかかってしまいます。
私たちは、母国語ですら、「音だけ」で学んできたわけではありませんね。
幼少期に「文字」を覚え、そして母国語について「勉強」することによって、自分自身の母国語のレベルが上がっていくわけです。
母国語について、「文字」を使って勉強しなければ、母国語レベルもたかがしれてしまいます。
外国語も同じ。
「音」は大切ですが、それと同じくらい「文字」を使った学習も必要なのです。
でも、「文字」の学習だけでは、どうにもなりません。
「文字だけ」では、言語習得そのものが非常に困難となります。
「生まれつき耳が聞こえない人は、母国語も話せるようにはならない。」
この事実は、「言語の習得には音が必要である」ということを如実に物語っています。
「音だけ」でもダメ、「文字だけ」でもダメ。
そこで、「音」と「文字」を融合させた学習が必要です。
ところが、「音の学習」と「文字の学習」をどのように融合させていくか、ということについては、実際にできるようになった人に聞くと、それはもう、千差万別、色々あります。
だから、これから外国語を学ぼうとする人は、混乱します。
書店に行けば、「外国語ができるようになった人」が、それぞれ思い思いに「こうすれば良い」という方法を、それこそ「自分の体験」に基づいて紹介しています。
そういう本が、書店の英語コーナーいっぱいに並んでいて、これから外国語を学ぼうとする人はどれを選べば良いのか迷ってしまうのです。
「自分はこうやって英語ができるようになった」という方法が、必ずしも他人にも効果があるとは言えません。
「経験」ではなく、どうしてその方法が効果があったのか、ということをきちんと理論的に説明できなければ、「他人にも効果がある」とは言い切れないはずです。
外国語をこれから学ぼうとする人は、「学習方法」をよく吟味した方が良いです。
「音の学習」と「文字の学習」を融合させようとせず、「音だけ」あるいは「文字だけ」に偏った学習は、よほど何かしら特殊な目的があるのでない限り、避けるべきです。
先日、本校の元生徒とFacebookでつながりました。
その生徒は、7年ほど前、留学の準備のために本校に通っていたのですが、本校でのカリキュラムは途中までしか終えられずに、時間切れでカナダに行ってしまいました。
あれから5年ほど経ったでしょうか?
その生徒は、Facebookを通じて、私にこんなことを言ってくれました。
「先生のところで学んだおかげで、ネイティブたちに英語がキレイだと褒められます。」
私に言わせれば、褒められるほどの英語になったのは、その人自身の努力のたまものです。
本校での授業は、単なるきっかけにすぎません。何しろ、全てのカリキュラムを終えたわけではなかったのですから。
外国語ができるようになるには、「音」と「文字」を融合させた学習をバランスよく行い、かつ、それなりの犠牲を払わなくてはならないのです。
「ネイティブに褒められるようになった」というその生徒もまた、それなりの犠牲を払ったはずです。
そして、それなりの犠牲を払い続けた人は、「褒められる」という見返りが、いつか得られるものなんだろうと思います。
「音」と「文字」の融合をどのようにしたら良いのか、個人の経験則ではない学習法を知りたい方は、是非、本校にお問い合わせください。
きっと、「褒められる英語」になるための道筋が見えてくるのではないかと思います。
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