日本の教育について考えているうちに、前回、「自分自身に疑いを持つこと」について話が及んだところで終わりました。
(前回の記事はこちら。)

どうしてそんな話になったかと言うと、以下のような流れがあったからです。

・自分の利益だけを考えるのではなく、他者の利益も考えることができる。
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・「ゆとり」がある。(精神的・身体的・時間的・経済的な様々なゆとり)
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・「can(できる)」から「must(しなくてはならない)」を引いた差が0やマイナスになっていない。
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・「can」を高める努力をしながら、同時に「must」を減らす努力をしている。
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・「must」が本当に「must」なのか、自分自身の見方や考え方に疑いを持つことができる。

というわけで、自分自身の見方や考え方に疑いを持つことができる人は、結果的に他者の視点になって考えることができるようになるのではないか、という話だったのです。

今日はこの続きからです。

 

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