「子供」に関するテーマでブログを書こうとしたら、そもそも「子供」という表記で良いのかどうか気になってしまいました。

ネット上で検索すると「子供」ではなく「子ども」とか「こども」のように表記すべきだ、と主張する人もいるようです。

どうしてそういう主張になったのでしょうか?

「子供ではなく子どもにしよう」と主張する人は、以下の点を問題視しているようです。

1. 子供の「ども」は、本来は「複数」の意味だったが、「供」という字にはそもそも複数の意味はなく、明らかに「当て字」と思われるから。複数の意味とするならば「供」ではなく「共」を使うべき。

2. 「供」という字には「お供する」のイメージがあるため、「親の付随物」を連想させるのが「差別的」と思われるから。(「コドモも1人の人間だ!」という主張ですね。)

3. 「供」という字には「神にお供えする」のイメージにつながりそうだから。

他にもあるかもしれませんが、とりあえずこんなところでしょうか。

これに対し、「いや、子どもはおかしい、やはり子供だろう」と主張する人は、上記の3つのポイントそれぞれに真っ向から反論しています。

1′. 確かに「供」は当て字であり、元々は「複数」を表す言葉だったが、今では「子供」は複数の意味ではない。「1人の子供」と言えるし、複数形にしたければ「子供たち」という表現がある。このことから、「供」という字は単なる「当て字」として認識すべきである。また、「当て字」を悪者にしようというのなら、日本語には他にもたくさん「当て字」があるので、これらも認められないという議論になってしまう。

2′ & 3′. 「供」という字には「差し出す(供給・供与)」「申し立てる・述べる(供述・自供)」「もてなす(供応)」など様々な意味があるのに、「お供する」と「お供えする」だけがピンポイントで連想されるという主張の方がむしろおかしい。

これに加え、「子どもはおかしい」とする主張として、

4. 「子ども」というようにわざわざ「ども」をひらがなにしてしまうと、まるで「男ども」や「女ども」のように、「見下した気持ちを込めた複数形」のように見えてしまう。その場合は「共」という漢字が正しいのだから、これを区別する意味でも「子供」とした方がむしろ差別的ではない。また前述したように「子供」は複数の意味ではないので、「子」の複数形として「子ども(=子たち)」という意味で解釈できるような表現にすべきではない。

としています。(たぶん)

う~ん、私(久末)自身は、はっきり言ってどっちでも良いのですが、「子どもと表記しよう」という主張の方が弱い、という印象を持っています。

「子供」は「子+供」という分離可能な言葉なのではなく、「こども」という一つの言葉である、という方が私には納得がいきます。

「あいつ、精神的にはまだまだ子供だな」とは言いますが、「あいつ、精神的にはまだまだ子だな」とは言いません。

つまり「こども」というのは独立した1つの言葉であって、「こ+ども」と分けられるようなものではない、ということです。

「子+供」と分けて考え、「供」の字が差別的なイメージにつながるから、より優しいイメージの「ども」にした、というのは、どうも説得力に欠けるような気がします。

というわけで、正直、どっちでも良いんですけど、私個人は今後「子供」という表記を使うことにしました。あるいは全部ひらがなの「こども」もオーケー。

「子ども」とする方が良いという主張で、新たに説得力のあるものが出てきたら、その時はまた考えることにしようと思いますが、この件でこれ以上時間を費やすのはもったいないと思うのが本音です。

したがって、私は「子ども」と書く人に対して「それは違うだろう」と目くじらをたてるようなことはしませんし、「子供ではなく子どもとすべきだ」と私にわざわざ言ってくる人といちいち議論をするつもりもありません。

「子供」という表記は、国にも認められている正しい表記です。これが国レベルで認められないということに決まったならば、その時はそれに従いましょう。

あー疲れた。

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