昨日のつづき>

昨日は「秩序」の状態があまり長く続くと「マンネリ」の状態に陥る可能性がある、ということを書きました。

人はたいてい「混沌」とした状態を嫌い、なんとか「秩序」の状態へ向かわせようと努力します。

しかし、「秩序」の状態に長くいることによって、次第に「新たなエネルギーを生みだそう」という意識すらも弱まってしまうことがあります。

秩序の状態が長く続きすぎて、エネルギーが新たに生み出せない状態のことを、俗に「マンネリ」と言いますね。

「マンネリ」の状態が続けば、そのうちエネルギー不足により「秩序」を維持できなくなってしまいます。

では、マンネリの状態というのは、どのように克服していけば良いでしょうか。

昨日ご紹介したのは、以下の2つです。

1.既に秩序の状態にあるところに、「新たな要素(個)」を追加していく。

2.既に秩序の状態となっている集団の中の「個」に対し、「尊敬」や「感謝」や「愛情」などといった「プラスの思い」を再認識してみる。

今日は、このうちの「2」について、もう少し深く考えてみることにしましょう。

人は、「秩序」の状態に落ち着いてしまうと、いつしかその集団の中にいる「他の個」に対して、「尊敬」や「感謝」や「愛情」などの「プラスの思い」を感じにくくなってしまうことがあります。

例えば、男女のカップルがいたとします。

付き合い始めたばかりの頃は、お互いがお互いのことを尊重し、認め合おうとします。

自分にとって、相手は自分の人生に「新たに追加された要素」と言えますから、この新たな要素によって、それまでの自分の生活が一変することだってあります。

生活が一変し、仮に今までの生活で自分が大切にしてきたことを手放さなくてはならなくなったとしても、それでも付き合いたてのカップルの場合は、「新たな要素(=相手の存在)」を大切に思う気持ちから、「自分の方を変化させよう」と努力するのが一般的と思われます。

そうやって、お互いがお互いを受け入れようとしていくうちに、だんだん2人の間に「秩序」が生まれてきます。

これで安心、めでたし、めでたし、と言いたいところですが、これで安心してはいけません。

秩序を手に入れるまでは、秩序がないが故にそれを手に入れるのに一生懸命になれますが、いったん秩序の状態を手に入れてしまい、それがある程度長い時間続いてしまうと、人はたいてい、その「秩序のある状態」というものに慣れてしまいます。

あまりに身近にありすぎて、その存在すら意識しようと思わなくなってしまうのですね。

「秩序のある状態に慣れる」ということは、その秩序を形成する「個」に対して、「あって当然のもの」という認識になっていく、ということです。

恋人の存在が、最初は「新鮮で、大切に思えるもの」だったはずが、そのうち「自分のそばにいて当たり前の存在」というように少しずつシフトしていく、という経験を多くの人がしているのではないでしょうか。

これは「恋人」に限った話ではなく、他のどんなことにも通じます。

毎日している「仕事」だって、就職活動をしている時には「一生懸命」な気持ちを強く持てていたはずなのに、毎日当たり前に仕事をするようになると、そのうち、仕事ができることに対する「感謝」の気持ちが弱まったりします。

「働くことができることに対する感謝の気持ち」が薄れ、それどころか「この仕事はイヤだな」「あ~面倒くさい」というように、「マイナスの思い」すら出てきてしまう始末。

身体の健康も同じです。

けがや病気をして、一度不便な思いをしたことのある人は、再び「健康」になるために一生懸命努力します。

けがや病気を治すために、じっと静養したり、あるいはリハビリをしたり。

そして、一度健康になったら、「もう同じけがや病気をしないように予防をしっかりやろう」と思っているのに、時が経つとそんなことも忘れてしまって、不用心にまた同じけがや病気をしてしまうことがあります。

このように、どんなことであっても、「自分の外側にあるもの」を手に入れたいと思った時には、そのことに対する思いは強く持てるのに、それがいったん「自分の内側」に入ってきたとたん、そのことに対して一生懸命になれなくなってしまうのです。

もちろん、全ての人がそうだというわけではありません。

「失った時」のことを常に想像し、「失ったら困る」ということを常に意識できている人は、きっと自分が手にした「秩序」に対して、「尊敬」や「感謝」や「愛情」の気持ちを忘れずに持てていることでしょう。

そして、そういう気持ちを忘れずに持てている人は、たいてい「秩序」をしっかり長持ちさせることができているはずなのです。

「マンネリ」の状態に陥ったと感じた時は、「秩序の状態が長続きしているのだ」という好意的な捉え方をしつつも、秩序を形成している「個」に対して、「もしも失ったら自分はどれだけ困るんだろう、どれだけ悲しむんだろう」ということを想像し直してみると良いでしょう。

「失った困る」「失ったら悲しい」ということを想像できない人は、いささか「思考力や記憶力が弱い人」と言えるかもしれませんね(笑)。

ただ、それでも本気でそのことを考えてみれば、そのことに対する「尊敬」や「感謝」や「愛情」などの「プラスの思い」がよみがえってくるかもしれません。

「秩序」の状態は、そもそも「新たなエネルギーを生み出せない状態」とも言えるのですから、本当に、いつその「秩序」が崩れ、その中の「個」を失ってしまうかわかりません。

「秩序」とは、そういう危うさを持っているものなのです。

今、自分が置かれている環境が「秩序」の状態であるなら、その秩序を失った時のこと、あるいはその秩序を手にするまでに一生懸命な気持ちでいた時のことを、改めて意識してみてはいかがでしょう。

きっと、自分だけでも「プラスの思い」を感じることができれば、そのことが集団全体の「秩序」の維持につながるのではないかと思います。

<おしまい>