今日の正午に配信したメールマガジンは、「見る」という言葉をテーマにしていました。

これを理解する上で、「人の知覚」について説明した方が良いかなと思います。

「人の知覚」は一般的に「五感」と呼ばれますね。

つまりは「視覚」「聴覚」「触覚」「嗅覚」「味覚」の5つのことです。

これらは、いずれも身体の「担当部位」が外部からの刺激を受けることから始まる感覚と言えます。

「視覚」なら「目」から刺激を受け取る。

「聴覚」なら「耳」から刺激を受け取る。

「触覚」なら「全身の皮膚」などから刺激を受け取る。

「嗅覚」なら「鼻」から刺激を受け取る。

「味覚」なら「舌」から刺激を受け取る。

ところが、このどれも、最初はそれぞれの「担当部位」が受け取った刺激であっても、最終的には「脳」へと伝えられて初めて「知覚」することができるのです。

例えば、今回のメルマガでもご紹介した「見る」について考えてみましょう。

「見る」というのは、「目」が受け取った刺激から始まります。

「光」が目に入り、目の奥にある「視覚細胞」に当たると、その細胞が刺激を感じ取って「電気」を発生させます。

発生した電気は「信号」となって神経回路を伝わり、脳の「視覚野」というところへ運ばれます。

「視覚野」では、流れてきた電気信号を使って、改めて、そこで「映像」を作り出します。

そして、脳の中で自分が作り直した映像を、脳が見ることになるのです。

つまり、「目」が映像を見るのではなく、

「目」から入った映像の光が、いったん「電気信号」に変わって脳に伝わり、脳の中で再生された「映像」を、人は見ていることになるのです。

このように説明されてもピンとこないかもしれませんが、人が「見る」ということをする時には、必ずこのような仕組みがあるというわけです。

「脳の中で作られた映像」を見るのが「見る」ということなのだとしたら、実際に外からの「光」がなくても、「見る」ということができてしまう場合もあります。

それは、薬物などの副作用によって、仮に、脳の「視覚野」の部分に何かしらの電気信号が流れてしまったような場合です。

このような場合には、外からの「光」の信号はないにも関わらず、その人の頭の中には「映像」が作られてしまいます。

そうすると、「目の前」には、実際には「実在」していないものが、その人自身には「実在しているように見えてしまう」のです。

これがいわゆる「幻覚」というものです。

「視覚」に限らず、他の知覚(聴覚、触覚、嗅覚、味覚)についても、同じように「身体の担当部での刺激→電気信号が脳へ伝わる→脳で刺激が再生される→知覚」という流れとなります。

今日のメルマガでご紹介した「see」というのは、まさにこのことを言い表しています。

「目から入った光の刺激が、頭の中で映像となる」というのは、上述した「脳の仕組み」に大いに関係があるのです。

人体というのは、本当に不思議ですね。

是非参考にしてみて下さい。