ここのところメディアで流れている中国でのデモ・暴動について、思うところがあります。

反日感情をあらわにして、破壊行為、略奪行為が中国各地で行われているのをテレビのニュースで見て、「中国はなんてひどい国だ」と思う人もいることでしょう。

ですが、それは中国の一部の人のみです。

全ての中国人が、「全員で一気」にそういう行為をしているわけでは、ありません。

それなのに「中国はひどい国」というように、「国全体」で見ようとする傾向が、あちこちのメディアやネット上の個人記事で見受けられます。

私はかつて、アメリカという国で生活しました。

ほんの10ヵ月という短い期間でした。

しかし、その短い期間でも、私を受け入れてくれたアメリカ人の家族は、今でも私の家族です。

アメリカという国が、「国全体」として何をやらかそうとしても、その人達は、私にとっては家族なのです。

ところが、アメリカという国全体が何かをやる度に、「だからアメリカが嫌いだ」とか「やっぱりアメリカという国は~だな」というように、「国全体」で物事を判断しようとする人もいます。

もちろん、「国全体」での見方も、時には必要かもしれません。

それでも、「国の一部」を見ただけで、すぐに「国全体」を評価するのはいかがなものかと思います。

今回の中国でのデモや暴動も、中国人の知り合いなどがいる人にとっては「国全体」での評価とはならないはずです。

中国の人でも、本当に気持ちよくつきあえる人だって、当然いるのです。

自分の好きな人達の中に中国人がいれば、今回の出来事は「悲しいこと」や「残念なこと」であるとは思うかもしれませんが、そのことで「中国全体を批判する」ということにはなり得ません。

「国全体」を見ているということは、その中の「個人」には全く目を向けていないということ。

時には「国全体」で物事を見るのが重要かもしれませんが、それと同じくらい、「個人」で物事を見るのも重要だな、とメディアの報道を見ながら思うのです。

見えているのは全体の中の「ほんの一部」であることを、私達は忘れてはいけません。