最近、「強さ」という言葉についてよく考えます。
「強さ」という言葉に対して、「固さ」という言葉がありますが、この2つは「似たようなイメージ」で使われることが多いように思います。
「強い=固い」あるいは「固い=強い」ということです。
ところが、本当に強いものには、「固さ」よりも「柔らかさ」が隠されています。
前からこのブログでもご紹介していますが、この1ヵ月半ほど、私は「左手」で箸を持って食事をしています。
利き手ではない「左手」で箸を持つと、その手には「要らぬ力」が入ってしまいます。
「要らぬ力」をこめたまま食事をしていると、だんだん手が疲れてきます。
手が疲れると、食べ物を箸で掴む力も弱まります。
最後の方では、「あ~、右手に持ち替えたい」と思うくらい、箸で掴む力が弱くなってしまいます。
ところが、ここで「右手」に持ち替えてみると、「手」そのものには信じられないくらい力が入っていないことが分かります。
「手」には力が入っていないのですが、箸で「掴む力」はとてもしっかりしているのです。
「手」に力が入っていると、「掴む力」は弱くなる。
「手」に力が入っていないと、「掴む力」は強くなる。
つまり、「自分の内側の力」が柔らかいほど、「自分の外に出る力」は強くなるのです。
これは一体どういうことでしょうか?
一見すると、「手に力が入っている方が、掴む力も強くなる」と考えてしまいそうですが、そうではないのです。
当然のことながら、「自分の内側の力」を柔らかくするには、単に力を抜けば良いということではありません。
単に力が抜けているのではなく、力の入れ方に「柔らかさ」を持っている、ということなのです。
「柔らかさ」というのは、「熟練度」に比例すると考えられます。
私の利き手である「右手」は、箸を持って食事をするという作業を何十年もの間繰り返しています。
右手による「箸」の熟練度は、左手の熟練度の比ではありません。
そういう「熟練度」があるからこそ、右手の箸には「柔らかさ」があり、そして「外に出る力(掴む力)」も強くなるです。
これと同じことが、たぶん、他の何にでも言えるのではないでしょうか。
武術の達人は、恐らく、自分の内側に「柔らかさ」を持っているはずです。そして、柔らかさを自分の中に持っているからこそ、「外に出る力」がとても強いのです。
ピアノやギターなどの楽器も同じです。熟練者ほど「柔らかさ」を持っていて、それでいて外に出る音は非常に力強い。
ビジネスでも同じ。仕事における熟練者は、仕事ぶりに「柔らかさ」を持っている、つまり「臨機応変の対応」ができるからこそ、仕事のアウトプットがしっかりしているのです。
漫画「バガボンド(原作:井上雄彦氏)」に登場する「宮本武蔵」や、「YAWARA(原作:浦沢直樹氏)」に登場する「猪熊柔」も同じです。
これらの作品では、剣術も柔道も、「強さ」を求めていくことは、「固さ」ではなく「柔らかさ」を求めていくこととして描かれていますし、本当にその通りだと思います。
「柔らかさ」を求めていくには、単に力を抜くのではなく、「繰り返す」ということがどうしても必要となります。
「繰り返すこと」によって、次第に「要らぬ力」が抜けていきます。
「要らぬ力」が抜けてくることは、すなわち「柔らかさ」を手に入れることとなります。
その「柔らかさ」を手に入れることが、ひいては「外に出る力」を強くしてくれるのです。
こう考えると、私自身は「英語教師」として、まだまだ「柔らかさ」が足りないなと思えて仕方がありません。
熟練度を高めるには、単に「長い年月」を過ごしていれば良い訳ではありません。
時間に比例して繰り返しながら、「自分のどこに固さがあるのか」「要らぬ力はどこに入っているのか」ということを自問していくことが大切なのだと思います。
自分の考えや価値観を「これで間違いない」と思っているうちは、まだまだ「固さ」があるのです。
今の自分の考え方や価値観こそが、今までの自分を築き挙げてくれたもののはずです。
しかし、それでも「自分の考え方ではない、別の見方はないだろうか?」というように、自分の一部を否定し、角度を変え、周囲を見渡してみることが重要なのです。
かたくなに1点のみに見方を集中していることは、一見「強さ」を手にすることに思えてしまいますが、そうではありません。
複数の観点でものごとを見ることができる人の方が、アウトプットする力は「強く」なります。
「柔らかいほど強くなる」
このことを肝に銘じながら、今日からまた英語教師としての仕事を全うしようと思います。