英語を教えるという仕事をしていると、生徒達の「成長」を見るのがとても楽しみになります。
どんどん成長する生徒の姿は、見ていて心地良いものです。
その一方で、なかなか成長しない生徒を見ていると、こちらも辛くなります。
「努力が足りない」というわけではなさそうです。
むしろ、人よりも努力しているようなのに、それがなかなか「成長」につながらない。
そういう人を見ていると、どうにかして「努力」が「成長」につながらないだろうか、と色々と考えてしまいます。
そうやって考えた結果、私が何年か前に思いついたのが以下の式です。
<アメブロからの続きはここから>
「練習」というものは、要するに「繰り返しの反復」です。
同じ事を何度も繰り返し、たくさんの時間をかけます。
言うなれば「時間」と「量」をこなしていくということが「練習」ということになります。
人が何かにおいて「成長」を望むのならば、そのことについての「練習」は不可欠でしょう。
ところが、「練習」さえすれば必ず「成長」するかと言えば、そうとは言い切れません。
何度も同じ事を繰り返し、時間も量もこなしているのに、なかなか成長しない、ということはあります。
そこに欠けているものは何だろうか、と私は色々と考えました。
どうやら、練習しても成長しない人に欠けているのは、「意識」というもののようです。
「意識」というのは、つまり、自分が取り組んでいる事柄に対して、「何が課題なのか?」ということを意識するということです。
「何が課題なのか?」ということを意識し、さらには「自分自身を外側から客観的に観察する」ということを意識する。
自分の問題点などに「自分で気づく」ということができないうちは、いくら練習しても成長へとつながらない可能性があります。
しかし、自分の課題を明確にし、自分自身を客観的に観察し、自分の問題点に自分で気づこうという「意識」をもって取り組めば、「練習」の時間や量に比例して「成長」していくことでしょう。
「練習」というものは、「回数」や「量」や「時間」といったもので「数値化」することができます。
一方、「意識」というものは「数値化」することはできません。
数値化できなくても、「意識」と「練習」を掛け合わせた分だけ「成長」へとつながります。
ということは、「練習」を人の何倍もこなしていても、「意識」がゼロだったとしたならば、悲しいことに「成長」もゼロとなり得るのです。
逆に言えば、「練習」の時間や量がこれまでと同じであったとしても、「意識」がゼロから「1」になり、あるいは「1」から「2」になったりすれば、その分だけ「成長」の度合いも高まります。
極論を言えば、「練習」の時間や量を大幅に減らしたとしても、「意識」を今まで以上に高く保つことができたならば、これまで以上の「成長」が見込めるということです。
「意識」が低いままで「練習」を繰り返し、なかなか「成長」が見られないような人によく見られる傾向として、「練習」を増やせばよいのだと考えてしまう点があります。
「1日に1時間の練習では成長しない、だから1日2時間に増やそう。」といった発想です。
このような人は、1日の練習時間を2倍にしても、もしかしたら、ほとんど成長しないかもしれません。
練習を何倍に増やしても、「意識」がゼロならば「成長」もゼロなのですから。
だから、「練習しても練習しても成長しない!」と嘆いている人は、「練習」を増やそうとするのではなく、「意識」を高める方向で努力すべきです。
「意識」をもって繰り返し「練習」する。
「成長」を目指すならば、是非このことを頭に入れてみてください。