学生の頃に常識であったことも、社会人になると違っている、という経験をしたことがある人も多いことでしょう。

「学生の常識」と「社会人の常識」は、同じ部分も当然ありますが、異なる部分もたくさんあります。

社会に出てから常識となることならば、学生時代から学んでおけば良いのに、と思ってしまいます。

ところが、現実はそうではないようです。

それはどうしてでしょうか?

 

<アメブロからの続きはここから>

 

社会に出れば、たいていの職場において「自分の考えをまとめて伝える」ということがとても大切になってきます。

自分の考えをまとめて伝えることが上手い人は、一緒に働く人達(同僚、先輩、後輩、上司、部下など)とのコミュニケーションも上手く取れることでしょう。

さらには、お客様とのコミュニケーションにおいても、自分の考えをまとめて伝えることは役に立ちます。

仕事だけではありません。

プライベートで、家族や友人や恋人などともうまくコミュニケーションを取るためには、自分の考えをまとめて伝えるということが大事です。

しかし、「学生」には、このような能力を高めるようなことはあまり要求されません。

「自分の考えをまとめて伝える」ということよりも、大人達がまとめた「教科書」というものをただひたすら「覚えていく」ということが求められます。

「他人がまとめたことを覚える」のが得意だからと言って、「自分の考えをまとめて伝える」のが得意になるわけではありませんね。

社会に出てから必要だと思われる能力なのに、学生時代にはあまり重視されていないようです。

 

また、「覚える」ということに関して言えば、「丸暗記」ができれば良いというのが多くの学生にとっての常識であるように思われます。

しかし、社会に出れば、「丸暗記すれば良い」で通じる場面はあまり多くありません。

むしろ、「なぜこうなっているのか?」のように原因を考えたり、「どうすれば良いのか?」のように対策を考えたりすることの方が社会では頻繁に求められます。

丸暗記ではなく、「原因や対策を考える」ということと一緒に「覚える」ということが多くの場面で重要となります。

社会に出れば、「原因や対策を考える」ということが当然求められてくるのに、学生時代にはそのようなことはあまり求められません。

 

他にもたくさんあると思いますが、「学生の常識」と「社会人の常識」がこれほどまでに違っているのは何故でしょう?

思うに、これは学生達に原因があるというよりも、学生達と接する「大人達」に原因があるのではないでしょうか。

学校の教員、予備校や塾の講師、親、あるいはチューターや家庭教師をしている大学生。

こうした大人達が、中学生や高校生に指導する際に、「自分の考えをまとめて伝えなさい」と話したり、あるいは「原因や対策を考えなさい」と話したりするでしょうか?

それよりもむしろ、「教科書を読んで覚えなさい」「ひたすら問題を解いて覚えなさい」と話すことの方が多いのではないでしょうか?

大人達の多くは、社会に出てから「学生の常識は、社会では通用しない」ということを痛感します。

それなのに、いざ「学生」に接する場面になると、自分が学生時代にやっていたことを「学生の常識」としてそのまま学生に話してしまいます。

私自身も、知らぬ間に「学生の常識」をもって学生達に接してしまうことがあります。

たぶん、「学生」を前にすると、自分自身も学生だった頃に戻ってしまうのでしょう。

自分自身が学生時代に戻ってしまうため、「社会人の常識」をすっかり忘れてしまうのでしょう。

だけど、自分だってそうやって痛い目に遭ってきたわけですから、学生に対して「学生の常識」だけをそのまま伝えてしまうのは避けたいところです。

もちろん、「学生の常識」の全てが悪いわけではありません。

学生時代に取り組んできたことで、社会に出てから役に立つこともたくさんあります。

しかしその一方で、「社会人の常識」を全く知らぬまま大人になってしまうことも危険です。

大人達は、学生に対して、少しでも「社会人の常識」というものを伝えていく必要があるように思います。

「自分の考えをまとめて伝えなさい。」
「原因や対策を考えなさい。」

そういうことを大人達がもっと学生達に話しかけ、そういうことをたくさん練習させてあげなければなりません。

「学生の常識」と「社会人の常識」の両方を知った上で、両者でうまくバランスを取ることが大事なんだろうと思います。