英語を学ぶ際には「発音」と同じくらい「文法」を理解することが大事です。
「文法」というのは、単語を並べて「文」を作る際の「単語の形の変え方」と「単語の並べ方」の2つのルールをまとめたものです。
「単語の形」と「並べ方」がきちんとルールにあっていれば、意味の通じる文ができます。
逆に、このルールがあっていなければ、当然、意味の通じる文にはなりません。
意味の通じにくい、わかりにくい文を作ってしまったら、その文を受け取る相手が考えなくてはならなくなります。
そういう負担を相手にかけさせぬよう、英語学習者が学ぶべきものが「文法」なのです。
しかし、「文法」というものは「理屈のかたまり」なので、そう簡単に理解できるものではありません。
文法を理解していくためには、それなりのことをしなくてはなりません。
一体、何をどうすれば良いのでしょうか?
一緒に考えてみましょう。
<アメブロからの続きはここから>
「文法」というものは、前述した通り「理屈のかたまり」です。
文法を理解するのに苦労している人の共通点の1つに「理屈をもって考えることが苦手」ということが挙げられそうです。
「理屈をもって考える」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、たいてい誰であっても、日常的に「理屈をもって考える」ということをしています。
例えば、「財布の中に1000円がある。今、自分はお腹が空いている。目の前にたい焼き屋さんがある。手持ちの1000円のうち、800円は本を買おうと思ってとってあるお金だ。たい焼きの値段が200円より安ければ、たい焼きを買うことができる。」といった具合です。
私達は日常的に、程度の差はあれ、このように「考える」ということをしています。
健康な頭を持っていれば、「考えることができない人」などほとんどいません。
「理屈をもって考える」ということは、たいてい誰にでもできることです。
ところが、これが「英文法」のような勉強になった途端、「理屈をもって考える」のではなく、「理解もせずに丸暗記しよう」とする人がたくさん出てきてしまいます。
「理解もせずに丸暗記」をしようとしている人は、いつまでも「文法」が難しいままです。
「文法」は「覚える」のではなく、「理解」すべきものなのです。
では、最初に戻りますが、「文法」を理解するにはどうすれば良いのでしょうか?
キーとなるのは「名前(=呼び方)」と「定義(=働き)」と「イメージ(=具体例)」です。
この3つを頭の中でつなげていくことができれば、文法の1つ1つが理解できます。
例えば、「副詞」を理解しようとします。
「副詞」というのは、言葉の名前ですね。
この言葉の名前だけを覚えても意味がありません。
この副詞という名前の言葉が、「文の中でどのような働きをするのか」を明確にする、つまり「定義」をきちんと把握しなくてはなりません。
副詞の定義というのは、次の様になります。
「副詞とは、動詞や形容詞や副詞を修飾する言葉のことである。」
副詞を既に理解している人ならば、この定義を読んだだけで「ああ、そうか、そうだな」と納得できるかもしれません。
しかし、「名前」と「定義」だけでは十分な理解にはなりません。
そこで必要になってくるのが「イメージ」です。
つまり、「具体例」というものです。
「ゆっくり歩く」という表現があったとしたら、「ゆっくり」という言葉が「歩く」という動詞を修飾していると言えます。
このような場合に、「ゆっくり」という言葉は、「動詞を修飾しているので副詞である」と判断することができるのです。
もちろん、これを理解する前に、そもそも「修飾する、というのはどういうことか?」を理解しなくてはなりませんね。
そうしたら、今度は「修飾する」という言葉について、「定義」と「イメージ」をつなぎ合わせていくのです。
そして、「修飾する」ということがどういうことで、具体的な例としてはどういうものが挙げられるのか、ということがつながったら、今度は「副詞」に戻って考えてみるのです。
このように、1つ1つの情報を頭の中でつなげていくという作業を、地道に行っていく必要があるのです。
「名前」と「定義」と「イメージ」をつなげていく作業というのは、「自分以外の誰か」がやってくれるわけではありません。
「名前」と「定義」と「イメージ」を、自分以外の誰かが「示してくれる」ことは可能かもしれませんが、それらを「自分の頭の中でつなげていく」ということだけは、「自分自身」にしかできません。
ここで必要になるのが「理屈をもって考える」ということなのです。
「理屈をもって考える」ということを他人任せにしてしまっている人は、「名前」と「定義」と「イメージ」が自分の頭の中でつながりません。
それをやるのは、世界でただ一人、自分だけなのです。
そして、「理屈をもって考える」ということを自分でやって、文法項目の1つ1つの「名前」と「定義」と「イメージ」が自分の頭の中でつながった時、ようやく人はその文法項目を「理解した」と言えるのです。
学校や塾の教師などが一生懸命、生徒達に文法項目の「名前」と「定義」と「イメージ」を伝えたとしても、生徒自身が自分の頭を使って「理屈をもって考える」ということをしなければ、絶対に「理解」することはできません。
文法の理解というものは、「自分で考えてつなげる」ということを積極的に行った人だけのものなのです。
このことを、教師も生徒も、どちらも忘れてはいけません。
教師は生徒に「理解させる」ことなどできません。
生徒は教師に「理解させてもらう」こともできません。
生徒が自分で「理解する」しかないのです。
「理屈をもって考える」ということを、辛抱強く、自分だけの力でやることがとても大切なのです。
教師ができることは、「名前」と「定義」と「イメージ」のサンプルを生徒に提供し、生徒自身が「理屈をもって考える」のをじっと見守ることだけです。
教師が代わりに考えてあげているうちは、教師にとっても、生徒にとっても、終わらない悲劇が続くだけかもしれません。
文法の理解に苦しんでいる人は、是非、自分自身の力で「理屈をもって考える」ということをやってみましょう。
少しずつ、頭の中で点と点がつながっていけば、「なるほど」という言葉が自然と出てくるはずです。
「なるほど」という言葉と共に文法を理解していけば、きっと文法がとても楽しくなります。
なぜなら、世界で使われている数々の英文の中に、自分が理解した文法を見つけることができるようになるからです。
自分が理解したことと同じ法則を、世界のみんなが使っているのです。
そうやって、自分と世界のつながりを感じるためにも、まずは自分の頭を使って考えることが大切なのです。
本校では、生徒自身が自分の頭を使い、「理屈をもって考える」ことを練習できるようなレッスンを行っています。
特に文法が苦手だという人も、少しずつ、自分の頭の中で文法の理屈をつなげていくことができるようになります。
教師は、あくまでもそのお手伝いをするのみです。
文法が理解できなくて困っている人は、是非一度、本校の説明会にお気軽にご参加ください。
実際に入会しなくても、英語学習のためのヒントがきっと見つかります。
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