英語などの外国語を学習していく上で、「賢い」ということはとても重要な要素です。

「賢い」という言葉を聞くと、「自分とは無縁だ」と思ってしまう人も多いかもしれませんね。

しかし、「賢い人」というのは、そもそも始めに「賢くなろう」とか「賢くありたい」と思った人なのではないでしょうか?

生まれつき、自然に、何もしないで賢い人も、たまにいます。

しかし、賢い人の多くは、常に「賢くあろう」という意識をもって生活している人なのだろうと思います。

 

<アメブロからの続きはここから>

 

身体が引き締まった人をみると、たいてい「あ、この人、努力しているな」と思いますね。

生まれつき、自然に、何もしないで身体が引き締まったままでいる人などいません。

身体が引き締まっているならば、きっとその人は、「引き締まった身体でありたい」と願いながら、日々、そのことを意識して生活しているのでしょう。

筋トレをしたり、ストレッチをしたり、食べ物に気をつかったり、歩き方や座り方などの姿勢に気をつかったり、そういう意識をしているはずです。

「引き締まった身体になろう」とか「引き締まった身体でありたい」ということを願った上で、それを実践して生活していけば、本当に引き締まった身体になります。

 

「賢い」ということも、これと同じように考えることができるはずです。

「賢くなりたい」とか「賢くありたい」と願う人は、そういう意識をもって生活をしているのです。

知識を増やそうとして読書をしたり、今までにしたこともない体験を積極的に行ってみたり、自分の考えを人に伝えようとしたり、他の人が一般に考える程度のもう一歩先まで考えるのを続けてみたり。

そういうことを日頃から意識して実践している人は、本当に賢くなるものです。

つまり、「賢さ」というものは、親の遺伝によって生まれつき持っているものなのではなく、「自分の意識」によって獲得できるものなのです。

 

英語を学ぼうという人は、自分の賢さを育てなくてはなりません。

「自分は賢くなれる」と信じることが、まず最初に必要なのです。

そして、「賢くなりたい」とか「賢くありたい」と願いながら、「賢い人ならばここまで考え続けるだろう」とか「賢い人ならば別の角度からも考えるだろう」ということを想像しながら、そういう人に近づけるように努力することが大事なのだろうと思います。

筋トレをすれば誰でも身体が引き締まるのと同じように、知識の幅を広げ、思考の深さを深め、発想の方向性を多様化させていく努力をしていけば、誰でも「賢い人」になれます。

是非、「賢い自分になるぞ!」ということを心に秘め、日々の生活で意識してみましょう。