日本人的なネーミングセンスというものは、時に、驚くほど「英語の本質を無視」していることがあります。
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「スマホ」というのは、皆さんご存じの通り「スマートフォン」の略称ですね。
「スマートフォン」の略称ならば、なぜ「スマフォ」とならないのでしょうかね?
あるいは「スマフォン」でも良い気もします。
なぜ、「フォ」や「フォン」ではなく、「ホ」なのでしょう?
英語を使う者の1人として、「ホ」はないだろうと思ってしまいます。
英語からやって来たカタカナの言葉において、全ての「フォ」を「ホ」に置き換えるのが普通か、といえば、そうではありませんね。
数字の「フォー」を「ホー」という日本人はどれくらいいるでしょうか?
「ビフォーアフター」を「ビホーアフター」と言うでしょうか?
「フォーチュンクッキー」は「ホーチュンクッキー」ですか?
いいえ、「フォ」の全てが「ホ」に置き換わる、ということは、他の言葉には滅多に見られません。
にも関わらず、「スマートフォン」に関しては「フォ」が「ホ」に置き換わってしまっています。
う〜む、なぜだ、日本人よ。
「英語の本質」というものを理解し、尊重し、それを反映させようという精神があるならば、「スマホ」などという言葉は生まれていなかったにちがいありません。
「スマホ」という言葉が出てきた背景には、すなわち、英語の本質への「無知」や「軽視」といったものが見え隠れしています。
それは「知性の欠如」とすら受け取られてしまうかもしれません。
そのくせ、「英語ができるようになりたい」と思っている日本人はたくさんいるようです。
「英語ができるようになりたい」という事であるならば、もう少し英語の本質に対する「理解と尊重」というものがあっても良いのではないかと思うわけです。
もちろん、私もすでに「スマホ」という言葉を受けていますし、日頃から「スマホ」という言葉を使っています。
ただ、時代の流れに伴って、これから新たに生まれてくる言葉というものに対して、日本人はもう少し慎重になるべきではないでしょうか。