誰かとの約束、あるいは自分でやると決めたことに対して、「時間がなくてできなかった」と弁明する人がいます。
かくいう私(久末)も、ついそう言ってしまうこともあります。
ですが、「時間がなくてできませんでした」というのは、やっぱり「言い訳」にすぎないのではないかと思います。
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「時間がなくて」ということは、まずあり得ません。
誰にでも、「1日24時間」という時間が、きっちり、平等に与えられます。
それにも関わらず、「時間がなくてできませんでした」と言ってしまうのは、言葉を換えれば、「それをやるための時間を作りませんでした」ということになります。
なぜなら、24時間の間に、「それ以外のこと」については時間をかけたはずだからです。
誰にでも、食事、睡眠、入浴、身支度、移動など、「日常生活」において必ずやることがあります。
そういうことには「優先的」に時間をかけるわけです。
そして、その次に優先順位が高い事柄、例えば、日常的に行う仕事や勉強などについても、きちんと時間を見つけてやることでしょう。
ところが、誰かと約束したことや、自分でやろうと決めたことに関しては、優先順位としてはその次となります。
「時間がなくてできませんでした」というのは、言うなれば、「私にとって、そのことは、他の事柄に比べて優先順位が低かったのです」と告白しているということになるのです。
「自分でやると決めたこと」ならばまだ良いかもしれませんが、これが「誰かとの約束」だったとしたならば、「優先順位が高くありません」と正直に相手に伝えてしまって良いものでしょうか?
もちろん、そうは言っても、本当にやるべきことがたくさんありすぎて、本当に時間が足りない、という状況はあり得ます。
しかし、仮にそういう状況だったとしても、相手との約束の期日になってから「時間がなくてできませんでした」と相手に伝えてしまうと、言われた方は当然「なんだよ、そりゃ」と落胆することでしょう。
自分との約束を「軽く」見られたと思って、ショックを受け、あるいは怒り、あるいは二度とあなたを信用しなくなるかもしれません。
もっと早い段階で、「時間が足りなくなりそうだ」ということを認識し、「時間のやりくり」を真剣にやることもできるはずです。
「時間が足りなくてできませんでした」と言わない人になるためには、「時間の使い方」というものを見直さなくてはなりません。
言うは易く行うは難し、であることは言うまでもありませんけれどね。
私も「時間の使い方」を真剣に見直そうと思う今日この頃です。