選挙に限らず、「選ぶ」という行為をするためには、選択肢の1つ1つについて「よく知っている」ということが重要です。

「よく知らない複数のもの」から「1つを選びなさい」と言われても、どれを選んで良いのか分からないのが普通です。

今回の選挙でも、やっぱり「候補者の1人1人について、よく知らない」という状況になってしまっています。

時には「明らかにこの人だけは選んではいけない」と感じることもありますが、そのような場合でも「消去法によって他の人を選ぶ」ということをするだけです。

これまでの選挙で、私は一度も「候補者の1人1人をよく知った上で、積極的に選んで投票した」という経験がありません。

これは「私」の問題なのでしょうか?

 

候補者の情報を知りたいならば、選挙期間中に街のあちこちに立てられる候補者のポスターボードを見るとか、候補者の講演を聴きに行くとか、候補者のウェブサイトを見てみるとか、そうしたことをすれば良い、と思う人もいるかもしれません。

しかし、「私が知りたいこと」は、「候補者たちがそれぞれ自分で公開している情報」なのではありません。

私が知りたいのは、候補者が「賢い人物であるかどうか」という点です。

「賢い」かどうかの基準は、「所属している政党」でもなく、「最終学歴」でもなく、今までの「職歴」でもありません。

県知事に立候補するのであれば、県内で今起こっていることをよく知っていて、そこに見られる「問題点」を明確に見抜くという賢さが必要です。

また、問題点の「原因」を的確に探るという賢さも必要ですし、さらにその問題点に対する「解決策」を(できれば2つ以上)用意することができるという賢さも必要です。

おまけに、そうしたことを「県民の全員」に分かりやすく説明することができる「表現力」も当然求められます。

こうした賢さを持ちながら、同時に「周囲の人間からの賛同が得られる」という人徳も必要だろうと思います。

「人の心を理解する」ということも含めて、総合的に「賢い人」が候補者の中にいるならば、是非その人を選びたいと思います。

しかし、今の選挙制度では、それがよく見えないのです。

 

「賢い人であるかどうか」ということが見えるようにするためには、例えば、全員に「同じ質問」をいくつか投げかけ、同じ制限をかけて回答してもらう、ということをやれば良いようにも思います。

書面で回答してもらうなら「文字数」を制限したり、あるいは口頭で回答してもらうなら「時間」を制限したり、ということです。

そして、これらの「質問&回答」のやり取りが、県民の誰でも簡単に知ることができるよう、それこそ街のあちこちに設置される候補者のポスターボードのところに張っておけば良いのです。

投票日が近づくにつれて、「とにかく自分の名前を連呼して町中を走る」というやかましく、かつ無意味な行為はもう廃止してほしいくらいです。

知りたいのは「あなたの名前」ではなく、「あなたがどのような考え方をする人なのか、あなたがどれくらい賢い人なのか」ということなのです。

選挙というものの在り方を、そろそろ変えなくてはならないような気がしてなりません。

ちなみに、「2021年千葉県知事選挙」については、以下の「wikiペディア」のページに記載されていますので、候補者たちが「賢い人であるかどうか」までは分かりませんが、参考にしてみることにします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2021年千葉県知事選挙

 

<おしまい>