<前回の続き>
(「子供向けの英語教育について」の過去記事一覧はこちら。)
今の日本には、「英語で苦労してきた」という実感のある大人がたくさんいます。
そういう大人たちが、「せめて子供には、英語で苦労させたくない」と思い、子供向けの英語教育に走ります。
ですが、親自身が何も考えず、「子供には早いうちから英語をやらせよう」と短絡的に行動してしまうのは問題です。
これまでにこのブログ記事でも書いてきましたが、幼少のころから英語をやらせることが、時には大きな「後遺症」となって子供を悩ますこともあるのです。
子供が英語を勉強し始めるのは、今の日本では「中学校」に入ってからです。
その準備として、小学校5年生ごろから英語を始めようとするならばまだ良いと思いますが、それよりも前から子供に英語を学ばせるのは危険です。
子供には、「英語」ではなく、「大人になってから役に立つ力」を育ててあげる方が良いと私(久末)は思います。
では、「大人になってから役に立つ力」とはどのようなことでしょうか?
前回までに、「考える力」と「発声をコントロールする力」についてご紹介しました。
今日は、さらにもう1つ、言語を学ぶ上でとても重要な事柄について考えてみます。
<アメブロからの続きはここから>
本校では、2001年の開校以来、主に「大人」を対象として英語を指導してきました。
指導内容は「文法」と「発音」と「英作文」です。
「文法」を理解し、「発音」のテクニックを身につけ、そして「英作文」の練習をたくさんすれば、それがすなわち「英語で会話をする」ということにつながります。
ところが、大人であってもなかなか学習したことが身につかず、苦労する人もいます。
大人といえども個人の能力差がありますので、「文法」が苦手な人や、「発音」が苦手な人など、さまざまです。
「文法」を理解するには「考える力」が必要であり、「発音」が上達するには「客観的に自分の音を耳で聞く力」が必要です。
そして、もう1つ、英語を身につけていく上でとても重要な能力があります。
それは、「自分の考えを、自分の言葉で適切に人に伝える能力」です。
たとえば、人がある事柄について「理解」をしていたとします。
「これはこういうことなのだ」というように、自分の頭の中で「理解している」ということです。
「理解」というものは、「文章」として頭の中に格納されているわけではありません。
「文章」ではなく、「漠然としたイメージ」であったり、あるいは「言葉の断片」であったりします。
そういうものが、「自分の頭の中」では、1つのまとまった「理解」として存在しているのです。
自分が「理解」しているものについて、自分の頭の中で「確認」することはそれほど難しいことではありません。
「理解」は自分の頭の中にあるのですから、「自分で確認しよう」と思った瞬間に、頭の中に散らばっている「イメージ」や「言葉の断片」をつなぎ合わせていけば良いのです。
難易度にもよりますが、さほど時間をかけずに「理解の再確認」はできることでしょう。
ところが、自分が「理解」している事柄を、何も知らない「他人」に伝えるとしたら、それは簡単にはいきません。
まず、自分の理解は「イメージ」や「言葉の断片」ですから、人に伝えるためには「きちんとした言葉」にしなくてはなりません。
ところが、自分の頭の中では「イメージ」や「言葉の断片」でちゃんと理解できていたのに、それに「ぴったり該当する言葉」を探すのは容易ではありません。
さらに、自分の理解を人に伝えるための「言葉」が見つかったとしても、「言葉」というものは「文」という形にして伝えなくては相手には理解できません。
「言葉」を探し出し、さらにはそれを「文」という形にまで持っていく。
しかも、自分の理解を人に伝えるには、「1つの文で良い」ということはほとんどありません。
たいていは、聞いている人の反応を窺(うかが)いながら、相手が理解していっているかを確認しながら、「いくつもの文」で表現しなくてはなりません。
自分の頭の中にあるうちは「ほぼ一瞬」で理解することができるのに、それを「他人」に伝えようとすると、たいへんな時間がかかってしまう。
今、私がこの文章を書いているのも同じことです。
私の頭の中には、このことはすっかり「理解」できているのに、それを人に伝えようとするには、これだけの文章を書かなくてはならないのです。
自分の「理解」を、「文」という形に変え、人に伝えるというのは、なんとも「面倒くさい行為」です。
しかし、その「面倒くさい行為」を嫌がっているうちは、「英語」は身につきません。
なぜならば、「英語」というのは「言語」だからです。
「言語」は、「自分の考えを人に伝える」という目的で使われます。
あるいは、「相手の考えを自分が理解する」という場合にも「言語」が使われます。
「自分の考えを人に伝える」のは「アウトプット」の行為。
「相手の考えを自分が理解する」のは「インプット」の行為。
どちらも大切ですが、「アウトプット」ができるようになれば、同程度のレベルの事柄ならば「インプット」もできるようになっているはずです。
しかし、「インプット」ができるようになったからといって、「アウトプット」ができるようになったとは限りません。
「自分の考えを人に伝える」ということが上手にできるようになれば、「人の考えを自分が理解する」ということも上手にできるようになるのです。
このことはつまり、英語ができるようになるということは、「英語で、自分の理解を人に伝える」ということができなくてはならないということを意味しています。
ところが、「英語」はおろか、母国語の「日本語」でさえも、「自分の理解を人に伝える」ということが苦手な人がたくさんいます。
仮に「文法」を理解し、仮に「発音」のテクニックも身につけ、さらには「単語」をたくさん覚えたとしても、肝心の「自分の理解を人に伝える」ということが苦手なのだとしたならば、それは「宝の持ち腐れ」となりかねません。
だから、まずは「母国語」を使って、「自分の考えを人に伝える」ということができなくてはなりません。
しかし、大人になってこのことが苦手な人がたくさんいるのも事実なのです。
子供のころから「自分の考えを人に伝える能力」を高めておくことは、大人になってから英語を使えるようなるためには、絶対に必要なことなのです。
では、「自分の考えを人に伝える能力」を高めるには、どのようなことをすれば良いでしょうか。
次回はそのあたりを考えてみましょう。
<続く>
本校では、「英語」の指導の一環として、「自分の理解を人に伝える」ためのトレーニングも行っております。
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