<前回の続き>
(「心の健康を損なわないために」の記事一覧はこちら。)
前回と前々回で、「幸せは、認識した人のところにやってくる」と書きました。
その逆で、「不幸もまた、認識した人のところにやってくる」と言えます。
当たりの宝くじ券を持っていても、それが当たっていることに気づいていなければ幸せを感じることはできません。
あるいは、一日中、ズボンのチャックが開いたまま過ごしていたとしても、一日が終わって服を着替える時にすらそのことに気づかなかったとしたら、不幸にはならないのです。
「幸せ」も「不幸」も、それに気づいたその瞬間に自分のところにやってきます。
だから、「幸せ」や「不幸」を自分の意識でコントロールしながら認識することができれば、心の健康を損なわずに済むのではないでしょうか。
ところが、「モノの見方」というものには、人それぞれ「癖(くせ)」があります。
その癖によって、自分のモノの見方が偏ってしまうこともあることでしょう。
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どのようなものにも、「良いところ」と「悪いところ」があるのが普通です。
「100%全部良い」とか、逆に「100%悪い」とか、そのようなことは滅多にありません。
ところが、「見る人の癖」によっては、「100%良い」とか「100%悪い」という見方になってしまうこともあります。
例えば、一枚の紙のようなものを連想してみましょう。
紙のオモテ面には「良いこと」が書かれていて、ウラ面には「悪いこと」が書かれているとします。
人がモノを観察する時に、「良い面」の方が見えてしまうという人は、逆に「悪い面」が見えにくいかもしれません。
その逆で、「悪い面」の方が見えてしまう人は、その裏にある「良い面」がなかなか見えなかったりします。
どちらの場合であっても、「反対側には、自分が今見えているのとは違う面があるはずだ」と考えることができれば、「両方の面」を見ることができるでしょう。
ところが、「反対側」のことを想像もしない人は、自分が最初に見た面の方を「鵜呑み」にしてしまいます。
「悪い面」を見る癖がある人は、たいていどんなことも「悪いこと」しか見えてきません。
「悪いこと」しか見えてこないということは、「不幸」を感じやすいということでもあります。
では、「良い面」を見る癖がある人の方が良いかといえば、そうとも言い切れません。
「良い面」を見る癖がある人は、その反対にある「悪い面」を見ることができませんから、そこに潜む「リスク」というものを見落としてしまう可能性もあるのです。
そういう意味では、モノを観察した時に「悪い面」を見る癖がある人は「慎重である」とも言えます。
「良い面を見る癖」も「悪い面を見る癖」も、どちらも一長一短です。
どちらの癖があるにせよ、「反対側がある、ということを想像してみる」ということがとても大切です。
自分が自然に見てしまう面だけを鵜呑みにせず、「反対側も見てみる」ということは、意識的にできることです。
物事を観察する時には、誰であっても、「自分には偏った見方をする癖がある」と自覚してみると良いと思います。
<続く>
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