今の世の中、様々な理由で心の健康を損なってしまう人はたくさんいます。

その原因の1つに「身近な人との衝突によるストレス」というものが挙げられそうです。

誰だって社会生活を送っていれば、「身近な他者」と付き合って行かなくてはなりません。

「人との付き合い」がうまくいかなくて、ストレスがたまってしまい、いつしか心の健康を損なってしまった、という話はよく聞きます。

人との付き合いがうまくいっていない時、たいてい、「自分」か「相手」のどちらか、あるいは「両方とも」が、相手のことを「否定的」に見ているものです。

普通、「人との付き合いにストレスを感じる」といった場合、「相手が自分を否定的に見てくる」というケースを想像する人が多いかもしれません。

職場や近所づきあいなど、「ある人から否定的な目で見られている」という状況は、当然「ストレス」となることでしょう。

しかし、「自分が相手を否定的に見てしまう」という場合もまた、ストレスがかかることなのです。

人にはそれぞれ価値観があって、自分とは「異なる価値観」を持つ人はどこにでも必ずいるものです。

それどころか、「自分と全く同じ価値観を持つ人」を探そうとしてもなかなか見つかりませんね。

人と人が出会えば、そこには必ず「異なる価値観」があるのですから、時には「片方がもう一方を否定的に見る」ということが起こり得ます。

価値観が違ってしまうのは、誰のせいでもありません。

人が誰かを否定的に見てしまうのは、自分と異なる価値観が「不快感」として自分の中にやってくるからです。

「自分と異なる価値観を不快に思う」ということもまた、人間ならば誰にでも起こり得ることです。

そして、「自分を不快にさせた相手に対して否定的な見方をしてしまう」のもまた、誰にでもあり得ることです。

一方、自分は何もしていないのに、単に異なる価値観を持っているからと言って、誰かに「否定的」に見られた方も辛いですね。

「否定的に見られる」ということだけで、十分にストレスがかかります。

しかし考えなくてはならないのは、「誰かに否定的に見られる」ということはストレスがかかりますが、「誰かを否定的に見る」ということもまたストレスがかかるということです。

つまり、「誰かに否定的に見られることによるストレス」もあれば、「誰かを否定的に見てしまうことによるストレス」というものもあるのです。

「自分は○○さんに否定的に見られている。だから、○○さんは加害者で、私は被害者だ。」

このようなケースは多々あることでしょう。

しかし、逆もまたあり得ます。

「自分は□□さんを否定的に見てしまう。それは□□さんの価値観が私に不快感を与えるからだ。だから□□さんが加害者で、私は被害者だ。」

このように考える人がいてもおかしくありません。

事実、「人間関係のこじれ」というものは、お互い、それぞれ自分の方が「被害者」だと思っている節があります。

人との付き合いにおいて、「誰かに否定される」のと「誰かを否定してしまう」のとでは、一体、どちらが加害者で、どちらが被害者なのでしょうか?

考え方によっては、どちらも加害者で、どちらも被害者になりそうです。

次回以降、それぞれのケースについて、どのようにすれば良いかを一緒に考えてみましょう。

<続く>

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