前回、「プライド」があるから「must」が増え、「must」が増えるから「ゆとり」がなくなり、その結果、心の健康を損ないやすくなる、というようなことを書きました。
(前回記事はこちら。)

まるで、「プライド」というものが「悪」のような書き方をしました。

しかし、私(久末)はいつも主張していますが、「どんなことにも正反対の見方や考え方がある」ということを忘れてはいけません。

確かにプライドが高いと、その分だけ「苦しい」という状況になるでしょう。

ところが、プライドがあるからこそ、「その時点ではできないこと」であっても「未来においてできるようになる」という可能性が生まれるのです。

例えば、私は、「プライド」という言葉を聞くと、ドラゴンボールのベジータを思い出します(笑)(知らない人はごめんちゃい)

彼は、「オレは、戦闘民族サイヤ人の王子だ~~!!!」と叫んでは、「その時点ではできないこと」であっても、「絶対できるようになってみせる」と自分に言い聞かせます。

その思いたるや、すさまじいものがありますが、そうやって彼は「その時点ではできないこと」を次々と克服していきます。

「自分ならばできる」と思うことは素晴らしいことです。

「自分ならばできる」と信じることができるのは、少なからずプライドというものがある時です。

人間、誰にでも「今、自分にはできないこと」というものは必ずあります。

しかし、「プライド」がある人ならば、「今はできないけれど、必ずできるようになる」と信じることができるのです。

「自分を信じること」もまた「プライド」と言えるでしょう。

「プライド」を持つことで、今の苦しい状況を打開することが可能となります。

「プライド」が自分を苦しめる。でも、

「プライド」が自分を前へと進めてくれる。

決して、プライドというものを無くしてはなりません。

苦しくて、どうしようもないときこそ、「自分ならばできる」と言い聞かせてみましょう。

その希望が生きる糧(かて)となるように思います。

ただし、前回書いたこともまた真なり。

あまりにプライドを高くしすぎないように、バランスを取りたいものです。

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