<昨日の続き>

前回、「完璧を求める人ほど、完璧に到達しない」と書いたところで終わりました。

これはどういうことでしょうか?

私の教室では、文法の授業の一環として、

「生徒が自分で文法書を読み、読み終わったらそれを教師に説明する」

というスタイルを取り入れています。
(このようなスタイルにしている理由についてはこちらからどうぞ。)

仮に「2ページ分」の文法項目を学習しようとしているとします。

生徒は、この2ページ分の説明を自分で読んだら、読み終えた時点で自分から教師に声をかけます。

「先生、読み終わったので説明します。」という具合です。

「説明を読む(インプットする)」のと「自分から説明する(アウトプットする)」のとでは、後者の方が断然難しいものです。

1回読むだけでは、普通、誰だって完全な説明(アウトプット)はできません。

しかし、1度でも説明(アウトプット)してみると、自分の中で、「自分はここまでを理解していて、ここからは理解が足りない」という「線引き」をすることができます。

そうして、いったんアウトプットした後で、もう1度、同じ「2ページ」を読んでみるのです。

すると、2度目は、「線引き」をした後なので、同じ箇所を読んでいても「読み方」が変わってきます。

今度は、線引きをしたうちの、「ここからは理解が足りない」という部分を重点的に読めば良いのです。

そして、文法書を2度目に読み終わったら、再び教師に説明してみます。

1度目の説明の時点で「40%」の完成度だった人でも、2度目の説明では、60%まで完成度が高まります。

しかし、まだ「100%」にはなかなか到達しません。

再び、文法書の同じ箇所を読みます。これで「3度目」となります。

3度目を読み終えたら、また3度目の説明を試みます。

すると今度は、90%まで理解が進んだりします。

さらに4度目、同じ箇所を読んでみます。

ここまで来れば、もうあと一息です。

4度目の説明では、おそらく、100%となることでしょう。

このように、どんなことでも、それを身につけようとする際は、「インプット」ばっかりを繰り返すよりも、途中に「アウトプット」を挟み込んだ方が、「自分の中の線引き」を確認しながら進めていくことができるため、非常に「効率」が良いのです。

ここに「時間」という概念を加えて考えてみましょう。

仮に、2人の生徒が、別々の部屋で、同じ文法項目を学習していたとしましょう。

Aさんは「読んだらすぐに教師に声をかけて、ダメもとで説明を開始するタイプ」で、
Bさんは「読んでもすぐに声をかけず、1度目の説明で完璧にしたいタイプ」だったとします。

また、学習しようとしている文法項目の範囲を「1回読む」のにかかる時間が、およそ「2分」だったとしましょう。

AさんもBさんも、「理解する力」は同程度だったとします。

1度目を読み終えた時点で、すぐに教師に声を掛けたAさんは、読み始めてから「2分後」には「1度目の説明」を始めていることになります。

そして説明を試みてから、説明が不十分だったことを確認して(線引きして)から2度目を読むのですが、同じ箇所を読むので2度目もまた「2分」かかります。

そのような感じで「読む→説明する」というプロセスを「4回」繰り返し、結局Aさんは全部で「15分」程度で「100%」までの理解にたどり着くことが出来ました。

一方、Bさんは、1度目を読み終えたとしても、まだ自信がないのですぐには教師に声をかけず、ひたすら自分だけで「2度目」「3度目」「4度目」のインプットを繰り返してしまいます。

「1度目の説明で完璧にしたい」と思っているBさんは、「インプット」だけにたっぷり「15分」を使ってしまいます。

そして、Bさんが「さあ、完璧だ」と思って始めた「1度目の説明」は、残念ながら、実際には、やっぱり「40%」程度の理解にしかなっていませんでした。

そこでBさんは、「2度目」を読むことになるのですが、ここでBさんは「次こそ完璧な説明にしよう」と思ってしまうため、また「自分だけで何度も読む」ということを徹底的にしてしまいます。

次に教師に声をかけるのは、さらに10分後だったりします。最初に読み始めてから「25分」が経過しています。

そして「2回目の説明」をするものの、ここでも、まだ「100%」に到達しません。

Bさんは、再度、文法書を読み始めますが、またたっぷり「5分」ほどを使って「さあ、完璧だ」と思ってから教師に声をかけます。

最終的には、Aさんよりも1回少ない「3回目」の説明で完全な説明となりますが、ここまでにかかった時間は、トータルで「40分」近くとなってしまいました。

Aさんは、短いスパンで「読む→説明する」を4回繰り返し、全部で「15分」かかり、

Bさんは、長いスパンで「読む→説明する」を3回繰り返し、全部で「40分」かかりました。

断っておきますが、これは、「Aさんの方がBさんより理解力がある」という話ではありません。

このような現象は、「同じ能力」の2人で起き得ることなのです。

Aさんのように、1つの文法項目を理解するために、「まず最初は、完璧でなくても良い」という姿勢でいれば、ほんの15分で終えられるのですが、

Bさんのように、「最初から完璧でなくてはならない」と考えていると、必要以上に時間をかけてしまうのです。

そして、「授業時間」には制限がありますから、Aさんは授業中にこの文法項目を終えることが出来るのですが、Bさんは、「途中で授業時間が終了です」ということになってしまい、結局は「完璧にならない」ということがあるのです。

次の授業の時に、また同じ要領でBさんが進めていくならば、また、同じように時間がかかります。

おおげさな話ではなく、Bさんのようなタイプは、いつまで経っても「完璧にならない」という状態から抜け出せないことがあります。

本当に皮肉な話なのですが、

「まずは完璧でなくて良い」と思っているAさんの方が早く「完璧」に到達するのに、

「最初から完璧にしたい」と思っているBさんは、いつまでも「完璧」に到達しない

ということが起こり得るのです。

時間をうまく使う方法を考える上で、「最初の1回目から完璧にしよう」と思って仕事に取り組んでいると、そのこと自体が如何に「
時間を食う」ことになっているか、考えてみると良いと思います。

以前から何度も繰り返し書いていますが、これは「個人の価値観」に大きく左右される事柄です。

従って、「最初から完璧にしたい」という価値観に強いこだわりのある人は、まず、そういう「自分の偏った価値観」を見直すところから始める必要があります。

「最初から完璧にしたい」というこだわりが、自分を「完璧」から遠ざけているのかもしれないのです。