時間をうまく使うかどうかを分ける境界線として、前回書いたように「白か黒」や「0か100」のような「極端な二者択一」の考え方を改めるという点があります。

「仕事の時間(やりたくなくてもやらなくてはならない時間)」の質を向上させるためには、「遊びの時間(自分がやりたいことをやる時間)」を大切にするということが大切ですよ、と前回書きました。

「遊び」というのは、ほんの少しの、ささいなことでも構いません。

毎日、決まった時間に「好きなテレビドラマを見たい」でも良いでしょうし、
毎週、決まった日に「趣味や習い事に没頭する」のも良いでしょうし、
毎晩、家に帰ったら「お風呂上がりに一杯やりたい」でも良いでしょうし、
週に何回かは思いっきりハメをはずして「友達と遊びに行く」でも良いでしょう。

何か、「自分が楽しんでできること」や「自分から進んでやりたいこと」を生活の中に取り入れ、それをやる時間をなんとか確保しようと思う気持ちが生まれてこそ、「仕事の時間をうまく使おう」という意識が芽生えるのです。

「遊びの時間」に興味がなく、早く仕事を終えて帰っても楽しいことが何もない、ということであれば、自然と「会社で仕事していた方がいいや」となってしまいます。そうなると「時間をうまく使おう」などという発想には至りません。

だからこそ、日頃から「遊びの時間」に高い価値を見出しておく必要があるのです。

ところが、遊びの時間に価値を見出していながらも、それでも「時間が足りない」と言う人はいます。

例えば、小さい子どもをかかえる母親とか、救急医療の現場に携わるような職種の人とか、他にも「時間を自分で自由に決められない」という事情の人もきっといることと思います。

遊びの時間を作ろうにも、自分一人でなんとかしなくてはならない仕事がある限り、いくら望んでも遊びの時間を作ることはできません。

そこで必要なのは「他者の助け」です。

「自分を助けてくれる人」が周りにいれば、一時的ではあっても、「遊びの時間(自分がやりたいことをやる時間)」を生み出すことが可能となります。

小さい子どもをかかえる母親の場合なら、近所のママ友、実家の両親、自分の夫、自分の兄弟姉妹など身近な人を「助けてくれる人」として見つけておくと良いでしょう。

職場においても、どんなに忙しくて仕事量が多くても、いざとなったら自分を助けてくれる人が身近にいるのといないのとでは全然違います。

人間、一人で生きていこうと覚悟することも大事ですが、同じように「人との助け合い」の中で生きていくことも大事です。

人に「助けて欲しい」と訴えることを「恥ずかしい」や「プライドが許さない」というように感じる人は、なかなか「助けて欲しい」の一言が言えません。

中には「助けて欲しい」と言うことで「ダメなヤツと見なされるのではないか」と恐れている人もいます。

しかし、実際には、能力の高い人ほど「助けて欲しい」という言葉をよく使いますし、その人の周りにはその人を「助けてくれる人」が常にたくさんいるものです。

もちろん、人に助けを求めるだけでは、人は次第に自分から離れていってしまいます。

そこで、日頃から「助けてくれる人」との人間関係を「良好」に保つ努力というものが必要になってきます。

実家の両親とケンカしたままでは「助けて欲しい」と言えないでしょうし、近所のママ友とうまくやれないようでは「助けて欲しい」と言えません。

職場においては、自分の部下や同僚、あるいは上司とすら、良好な人間関係を保っていれば「助けて欲しい」と言いやすいものですが、なんらかの原因で組織の中で孤立してしまっていると「助けて欲しい」と言える相手がいなかったりします。

「助けて欲しい」と気兼ねなく言うためには、「助けてくれる人」に対して「感謝の気持ち」を忘れずに持ち続けるということが大切です。

家族や友達、上司や同僚や部下など、自分を「助けてくれる人」がいたならば、まずはその人達に「助けてくれてありがとう」と、感謝の気持ちを「言葉にして伝える」と良いのです。

「感謝なんて、言わなくても分かっているはず」と思っていたら、実は相手は「あいつは助けてもらって当たり前と思っている」と感じてしまっているかもしれません。

特に、人間関係の「距離」が近い人ほど、「感謝の気持ち」を伝えるのをつい忘れてしまいがちです。

自分に近い人とは、例えば「配偶者」や「家族」や「恋人」や「親友」だったり、「自分の直属の上司」や「一番仲の良い同僚」などです。

「近い人」は、もしかしたら、何の見返りも求めずに助けようとしてくれるのかもしれませんが、それでも、その人との人間関係を良好に保つには、「感謝を伝える」ことが肝要なのです。

そして、もし逆に、自分が相手を助けることができる機会があるなら、可能な限り「助けようと努める」ことも大切ですね。

このように、「助けてくれる人」を見つけておいて、その人の近くに自分の身をおく努力をしておけば、「遊びの時間」を生み出すことは可能となります。

繰り返しますが、「遊びの時間」は「悪者」なのではなく、「仕事の時間」の質を向上させてくれる「正義の味方」となり得るのです。

「人に助けてもらっておいて、自分は遊ぶのはおかしい」ということでは、決してありませんからね。

もし、「助けて欲しい」と人に言うことができないのだとしたら、前回と同様、自分の中に「助けてもらうこと=悪者」「自分でやること=正義」のような「白か黒」の極端な価値観が根付いているのかもしれません。

そうなのだとしたら、やっぱり、まず自分の中の「極端な価値観のかたより」というものを見つめ直すということが最初に必要だと思います。

「時間を今よりうまく使えるようになる」ということは、「自分の行動パターンを変える」ということでもあり、それは「自分の価値観を見直す」ということにもつながるのです。