新しい事柄を始めた時に、「難しい」と感じながらも、それを「楽しい」と感じることができる。

そういう事柄については、人は継続的に努力していくことができます。

前回、「はじめから得意なこと」であれば、一瞬は「難しい」と感じたとしても、それでも「楽しい」と感じることができる、と書きました。

逆に「不得意なこと」という認識を自分の中に持ちながら何か新しいことを始めると、たいていは「難しい」と「つまらない」の両方を同時に感じてしまい、継続していくことがなかなかできない、と言えます。

では、「不得意なこと」からスタートした場合は、必ず「難しい=つまらない」となってしまうのでしょうか?

今日はその辺りを考えてみましょう。

そもそも、何かを「難しい」と感じるのはどうしてでしょうか?

難しい、というのは、「自分の意のままにならない」ということではないかと思います。

言い換えれば、「自分がこうでありたい」や「自分以外のものにこうであってほしい」という願望が先にあり、その願望が、自分のコントロールによって自在に制御することができないような様を「難しい」と言うのではないでしょうか。

例えば、「数学の問題が難しい」という場合。

「問題を解く」ということに対して、スラスラと答えに到達したいという願望がありながらも、なかなか思うように答えに到達しない。

そんなときに人は「難しい」と言います。

あるいは、「マニュアルの自動車の運転は難しい」という場合。

これも、「自分の身体」をコントロールし、自在に車を動かしたいのに、なかなか意のままに動かすことができない。

こんな時にも人は「難しい」と言います。

つまり「難しい」というのは、「スムーズに答えにたどり着かない」や「自分の意のままに自分自身や自分以外の事物を動かすことができない」という状況を言い表したものと言えそうです。

英語を話すこともまた、多くの日本人にとっては「難しい」と言えることかもしれませんが、これも同じで、「スムーズに発音できない」とか「スムーズに単語が出てこない」のようなことを指して「難しい」と言っているのです。

「難しい」という状態そのものは、敢えて言うなら「自由が制限された状態」です。

「自由が制限された状態」を好ましく思う人は稀でしょう。

多くの場合は、「自由が制限された状態」に対して「不快感」を覚えるはずです。

ところが、「自由が制限された状態」が、次第に解除されていく、というのを感じることができたならどうでしょうか?

「自由の制限が解除されていく」ということは、言い換えれば、「自由になる部分が増えていく」ということです。

人は、一般的に「自由」という状態を好みます。

もちろん、人の嗜好には様々ありますから、「私の自由を奪ってちょうだい!」と言ってそこに喜びを見いだす人もいるかもしれませんが…。

まあとにかく、「自由を手にする」「自由になる部分が増える」というのは、一般的に言えば、人を心地良くさせてくれます。これが「楽しい」につながるのです。

つまり、「難しいこと」に対して「楽しい」と感じることができる人は、「難しい状態そのものを楽しんでいる」というわけではないのです。

「難しい状態から、未来に向かって、だんだん自分の自由となる部分が増えていくことを想像するのが楽しい」ということなのです。

「スタートの時点」で得意なことだろうと思って取り組むことは、おそらく、「だんだんと自分の意のままにやれるようになる」と想像することが容易なのでしょう。

だから、「今は難しい、でも、少しずつできるようになると思えるから、それが楽しい」というように感じることができ、結果、「難しい=楽しい」となるわけです。

ところが、「スタートの時点」で、初めから「自分には無理だ」という苦手意識から入ってしまうと、「やっぱり難しい。これができるようになるなんて無理!」と思ってしまい、単に「難しい」という状況を苦痛に感じてしまいます。

では、苦手意識を持っていることを始めた時にはどうしたら良いのでしょうか?

また一緒に考えていきましょう。

<続く>

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