<前回の続き>

(『誰でも「できる人」になれる!』シリーズのこれまでの記事一覧はこちら。)

前回は「できる人になる」には「客観力」が必要で、「客観力」を持つためには「考える力」が必要だ、と書きました。

では、「考える力」をつけていくにはどうしたら良いでしょうか。

まず、健康な脳を持っていれば、誰だって「考える」ということをします。

しかし、「思考の頻度」「思考の深さ」「思考の際の観点の多さ」というものには個人差があります。

一言で「考える」と言っても、その「頻度」が少なかったり、あるいは「深さ」が充分でなかったり、はたまた「観点の数」が少なかったりすれば、「考える」の先に得られる結果も異なりますね。

今日はまず、考えるということの「頻度」を増やすにはどうしたら良いかについて考えてみましょう。

そもそも、人が考えるのは、どんな時でしょうか?

何がきっかけとなって、人は「考える」ということをするのでしょうか?

みなさんも少し考えてみてください。

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ふむ、「考える」ということをするのは、「問われた時」ではないでしょうか。

人は、誰かに質問された時、その質問をきっかけにして考え始めます。

あるいは、「困難な状況」や「辛い状況」など、自分のまわりの「環境」が問いかけてくるということもありますが、そんな時にも人は考えます。

要するに、「人」や「環境」に問われた時、人は「考える」ということをするのではないでしょうか。

逆に言えば、誰からも質問されることがなく、さらにまわりの環境にも全く不満がなく満たされている時、人は「考える」ということをしなくなってしまう、ということでもあります。

ところが、「人」や「環境」以外にも、人を「考える」ようにさせるものが1つだけあります。

それは、「自分自身」です。

「自分」が「自分」に問いかけた時にも、人は外部の人や環境から問われた時と同じように、「考える」ということをします。

いずれであっても、人は「問われる」ということをきっかけにして「考える」ということを始めるわけです。

では、考える「頻度」を高めたいならば何をすれば良いか。

当然、「問われる頻度」を高めなくてはなりません。

子供のころから、まわりの大人たちから「問いかけられる」ということをたくさん経験している人は、その分だけ「考える頻度」は高くなるでしょう。

あるいは、子供の頃から「辛い環境」や「苦しい環境」で育った人もまた、「考える」というきっかけがより多く与えられそうです。

「考える」というものは「トレーニング」によって上達していくものだと私は思います。

つまり、考える頻度を高めていけばいくほど、それだけ考えるのが上手になるのだろうと思うのです。

そのためには、本当は子供の頃からのトレーニングがとても大切です。

ところが、今の日本の教育では、「子供に問いかける」ということがなかなか実践されません。

「問いかける」ではなく、「答えを与え、それを覚えさせる」というやり方が、学校でも家庭でも一般的です。

教師も親も、子供に「勉強しなさい」と言う時には、きまって「答えを覚えなさい」ということを意味しています。

「答えを覚えなさい」というやり方を素直に受け入れることができる子供ほど、もしかしたら「考える」ということが苦手になるかもしれません。

しかし、「答えは何だと思う?」と問いかけたり、あるいは答えを与えたとしても、その後で「どうしてこんな答えになったのかな?」と問いかけてみると、子供はどんどん考えていきます。

「考える」ということをたくさん練習した人、つまり「問いかけられる」という機会をたくさん与えられた人は、そのうち、「自分で自分に問いかける」ということもやるようになります。

では、大人はどうでしょう?

子供の頃から「考える(=問われる)」という機会があまり多くなかった人は、おそらく考えるということ自体が苦手だったりするのではないでしょうか。

大人になった今、人や環境が自分に問いかけてくるということがたくさんあるわけではないかもしれません。

そうであるならば、まずやるべきことは「自分で自分に問いかける」ということです。

しかし、何をどう問いかければ良いのか分からない、という人もいるでしょう。

次回は、「自分で自分に問いかける」ための方法について考えてみましょう。

皆さんも、次回までに考えてみてください。

<つづく>

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