現在、午前8時43分。
今日はもう職場に着いています!(キセキだ!)
こんなに朝早くパソコンに向かっているのはなんだか新鮮な気持ち。
コーヒーを横に置いて、なんだかすがすがしい朝だなぁ、と思います。
で、コーヒーを淹れながら、ふと思いました。
いえ、たいしたことではないんですが、最近、よくみかける「ふた付きカップ」というやつ。
実は私も愛用しているのですが、「ふた」がついていると、コーヒーとかが冷めにくくて良いのですよね。
少し前は「サーモス」の製品をよく使っていました。
何時間も冷めないというその技術に驚き、授業中もずっと愛用カップを使っていました。
ところが、いつからか、私は「ふた」をつけないで使用するようになりました。
「ふた付きカップ」は、「ふた」がついているから飲み物が冷めにくいのに、「ふた」をつけなければ意味がないのでは?
と思う方もいらっしゃることでしょう。
でも、「ふた」をつけることで確かに「冷めにくい」という利点を得る一方で、失うものもあるのです。
それは「風味」というもの。
コーヒーだけでなく、緑茶、紅茶、ココア、など、どんな飲み物でもそうですが、「ふた」をしてしまうと、その「風味」、特に「香り」というものを味わうことができなくなってしまうのです。
ふた付きでいつまでも冷めにくいのは良いのですが、その分「香り」を嗅ぎにくくなったせいで、なんだか「味」まで半減してしまうように感じてしまうのです。
もちろん、これは私の個人的な感想です。
でも、さっきコーヒーを淹れていて、そんなことをぼんやりと考えていたら、まるで他のことにも通じることのような気がしてきたのです。
「何かを得る」ということは、同時に「他の何かを失う」ということなのではないか、と。
ということは、逆もまた真なり、というやつで、「何かを失う」ということは、「他の何かを得る」ということになるのではないのかな、とも思うのです。
何かを得たと喜んでいながら、実は「別の大切な何か」を失っていることに気づかなかったり。
あるいは何かを失ったと悲しみながら、実は「別の大切な何か」を得ていることに気づかなかったり。
結局は、その人間が「どちらを認識するか」の問題になります。
何かを「得た」ということを認識するのか、
何かを「失った」ということを認識するのか。
その何かが「プラス」なのか「マイナス」なのか、という捉え方も個人個人違っているはず。
毎日毎日仕事をしながら、自分が得ているものは何で、失っているものは何だろうか?
珍しく朝早く職場に来たもんだから、ふと立ち止まって今の自分を見つめ直してしまったりして(笑)
いえ、たいした話じゃないんですけどね。
早起きもたまには良いかな、というだけの話です。
(おしまい)