前回の続き>

『大人になってから英語を身につけようとするよりも、子供の頃から始めた方が良い、だから子供には英語教育を!』

という主張について、前回、私は「継続しなければ身につかない」ということから、素直には賛成できないと述べました。

そもそも人が何かを続けるには「エネルギー」が必要です。

それはどんなエネルギーでしょうか?

今日はその辺りについて考えてみたいと思います。

人が「何か」を始めてみて、それをずっと「継続する」ことができるのは、どのような理由からでしょうか?

まず、ぱっと思いつくのは次の2つ。

1. それをすることが「心地良い」と感じられるから。

2. それをすることが「必要だ」と感じられるから。

私たちが日常生活を送る上で、毎日欠かさず継続していることって、誰にでもありますよね?

たいてい、どれも上記の2つに当てはまるような気がします。

「1」の「心地良い」というのは、例えば、「そのことが好き」だとか「そのことをするのが楽しい」とか「面白い」とか、そういう「感情的にプラス」という気持ちになれるということです。

好きだからやる。

楽しいからやる。

面白いからやる。

それをすることが「心地良い」のだから、辞めようだなんて思わない。

心地良くなれるのであれば自然とやってしまう、だから「継続」してしまう。

「心地よさ」を感じるのは、小さな赤ん坊も同じです。

赤ん坊のうちは、どういうものが心地良くて、どういうものが心地悪いかがよくわかっていないことも多いでしょう。

でも成長し、少しずつその違いを学習していくうちに、人は誰でも自然と「心地良い方」へと向かってしまうものです。

だから、何か「習い事」をさせた時に、子供がそれを「心地良い(好き、楽しい、面白い)」と感じたならば、おそらく「またやりたい」と思うことでしょう。

「心地良い」と感じるかどうかには理屈もなく、理由もありません。

「心地良い」には理由がないので、自分の意志ではコントロールできません。

「心地良い」と感じているものに対して、自分の意志で「心地悪い」と感じようと思っても無理です。

逆に、「心地良い」と思っていたことが、何かのはずみで「心地悪い」ように感じられてしまったら、もう自分の意志では「心地良い」というように感じられなくなってしまいます。

ということは、人が何かを継続する理由として、「1. 心地良いから(好きだから、楽しいから、面白いから)」というのは、とても不安定な要素と言えます。

小さな子供が「英語が楽しい」とか「英語が好き」と言っているとしても、それは何かのきっかけで、急に「つまらない」「嫌い」となってしまう可能性があるということなのです。

いったん「つまらない」「嫌い」となってしまったら、それを元に戻すのはとても困難です。

その時点で「継続」の道は途絶えてしまうことでしょう。

では「2」はどうでしょうか?

「2」は、「必要だ」と感じるならば継続してしまうということです。

人が何かを「必要だ」と感じるには、理屈があり、理由があります。

しかし何かを「必要だ」と感じるかどうかは、実は線引きが難しいのです。

必要だ、という言い方は「何をするのに必要?」という疑問文といっしょに扱われるべきです。

例えば、以下の3つ。

1. 生きていくには「食べること」が必要。

2. 食べるためには「お金」が必要。

3. お金を得るには「働くこと」が必要。

この3つのうち、「絶対に不可欠」というのは、もしかしたら「1」だけかもしれません。

食べなかったら死ぬ、これは当たり前。

ですが、「2」と「3」は、物事の捉え方によっては必ずしもそうとは言い切れません。

お金が無くても、自然界の恵みから食料を自分の力で手に入れることができるならお金は必要ありません。

大昔の人達はお金がなくても食べてきましたし、多くの野生動物も、お金など使わなくても食べています。

また、お金を得る手段は「働く」だけではありません。「盗む」「拾う」「もらう」などという手段によってもお金を得ることもできます。(それが良いか悪いかは別として。)

「金利」や「投資・投機などによる利益」などによってもお金を得ることもできます。

屁理屈と思われるかもしれませんが、「必要だ」というのは、線引きの仕方によっていくらでも変わるものです。

つまり「必要だ」ということは、ほとんど個人の「価値観」によるものです。

ある人にとっては「必要だ」ということも、別の人からみたら「全然必要でない」ということもあります。

そうすると、「必要だ」と感じているうちは継続できるけれど、「必要ではない」と感じてしまったら継続できなくなる、ということです。

では、「英語を勉強する目的」として、「英語が必要だから」という理由を挙げられるのはどのような状況でしょうか?

「英語が必要だ」というのは、これまた「何をするのに必要?」という疑問文と一緒に考えなくてはなりません。

「仕事をするのに必要」なのか、あるいは「生活をするのに必要」なのか、あるいは「高校受験、大学受験で希望のところへ入学するのに必要」なのか。

しかし、これまた、「必要だ」と思っているのはたいていは「思い込み」なのであって、ふと考え方や価値観が変わった瞬間に「必要ではない」ということになってしまいます。

小さな子供にとって、「英語が必要だ」と思える環境って、いったいどんな環境でしょうか?

それは、生活の中で「英語を使わなくてはならない」という環境のはずです。

しかし、日本ではそういう環境は稀です。

インターナショナルスクールに通うとか、両親のうちどちらかが英語しか話せないとか、そういう特殊な環境にいるならば、「生活をするのに英語が必要だ」と言えるかもしれません。

ところが、多くの家庭ではそうではありません。

親自身も英語が話せず、幼稚園も学校も普通の日本語の環境、ということであれば、どこにも「英語が必要だ」という状況にはなりません。

「必要だ」と感じられないならば、やっぱり「継続」はできなくなってしまいます。

では、人が何かを継続する理由には、上記の「1. 心地良い」か「2. 必要だ」の2つしかないのでしょうか?

いいえ、もう1つ、あります。

それは、、、

ちょっと長くなったのでまた明日!
どうぞお楽しみに!

続く

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