<前回の続き>

(「心の健康を損なわないために」のこれまでの記事一覧はこちら。)

このシリーズを始めた最初の頃に、「感情と理性」についての考察を書きました。

以前ご紹介した表を、再度貼り付けてみます。

まず、「感情」を見てみましょう。

「感情」というものは誰にでもあります。

「好きか嫌いか」あるいは「心地良いか心地悪いか」といった直感的な基準です。

これには「理由」がありません。

「好きのものは好き」とか、「嫌いなものは嫌い」といったように、「感情」には基本的には「理由」はないのです。

そして、理由がないことだからこそ、感情というものは「自分でコントロールする」ということがとても困難です。

「好きなものを嫌いになりなさい」とか「嫌いなものを好きになりなさい」ということは、「感情」のレベルでは無理です。

「好きなものを嫌いになる」、あるいはその逆ができたとしたならば、それは感情ではなく「理性」による働きと言えます。

また、「感情」というものは、1つの事柄に対して「好きか嫌いか」のどちらかに偏るのが普通です。

1つの事に対して「好きな部分もあれば、嫌いな部分もある」ということもあるでしょうが、「その部分だけ」で見るならば、「好きか嫌いか」のどちらかに決まるのが普通です。

まとめると、「感情」というものは、

1. 誰にでもある、直感的な判断基準となるもの。
2. 判断基準について理由を述べることができないもの。
3. 自分でコントロールすることができないもの。
4. プラスかマイナスかのどちらかに偏ってしまうもの。

ということになります。

では、今度はその反対の「理性」を見てみましょう。

「理性」というものは「好きか嫌いか」といった直感的なものではなく、「正しいか正しくないか」や「必要か必要でないか」といった、「知性」によって分けられたものです。

「知性」というものは、誰にでもあるというわけではありません。

「知識」と「知恵」を併せ持ったもの、それが「知性」です。

「知識」が不十分だったり、あるいは「知恵(思考)」が不十分だったりすれば、「理性」というものは持ち得ません。

また、理性は「正しいか正しくないか」という基準ですから、そこには必ず「理由」があります。

自分自身の「経験」、あるいは人から聞いた「考え方」などに基づいて、「○○だから正しい」とか「××だから正しくない」というように、きちんと「理由」を述べることができるものです。

また、「理由」を述べられるということは、たとえ反対意見にでくわした時でも、その「理由」に説得力さえあれば、「逆」の考え方に切り替えることができるということでもあります。

つまり、理性によってプラスかマイナスかをいったん決めたとしても、その後で「自分でコントロールする」ということが可能なものということです。

さらに、「理性」による判断基準というものは、「プラス」と「マイナス」の両方を同時に持つことができます。

感情的に「好き」なものであっても、理性で考えたら「プラスの面」と「マイナスの面」がある、というのが普通です。

あるいは、1つの事柄に対して「プラス」と「マイナス」の両方を見つめることができるとしたなら、それは「感情」ではなく「理性」による働きだと言えます。

まとめると、「理性」というものは、

1. 誰にでもあるものではなく、「知性(=知識と知恵)」によって決まるもの。
2. 判断基準について理由を述べることができるもの。
3. 自分でコントロールすることができるもの。
4. プラスとマイナスの両方を同時に持つことを可能にするもの。

ということになります。

で、どうしてこんな話をしているかと言いますと、「心の健康を損なってしまう人」の特徴として、「理性」よりも「感情」を判断基準にして物事を決断することが多いのではないか、と思われるからです。

もちろん、「好きか嫌いか」という感情だけで生きている人はほとんどいません。

たいていの人は、「感情」を基盤に置きつつも、その上に「理性」を持って社会生活を営んでいるはずです。

しかし、「いざ」という場面で「理性」よりも「感情」が先に出てきてしまう、という人は少なくありません。

これを書いている私だって、いざという時には「感情」が先に出てしまうことが多々あるだろうと思います。

しかし、「理性」を持っている人ならば、「感情」が先に出たとしても、すぐ後で(あるいは、だいぶ後で)、「知識と知恵」をもって考え直し、「感情」による自分の判断基準を修正するということができます。

ところが、「理性」が弱い人は、いったん「感情」によって下された決定を、自分自身で覆すのが困難です。

「理性」さえあれば、1つの考え方、1つの言動に縛られることなく、「プラス」と「マイナス」の両方の世界を行ったり来たりできるのに。

「理性」が弱ければ、いったん「プラス」と思ったならばいつまでも「プラス」の世界から抜け出せず、同じようにいったん「マイナス」と思ったならばいつまでも「マイナス」の世界から抜け出せないという状況に陥りやすくなります。

「感情」というものに価値基準を置くことが悪いというわけではありません。

「感情だけ」に偏っていることが、自分自身を苦しめる原因になることがある、ということです。

時には、「感情」による価値基準で決断し、行動したことが「良い結果」となることもありますし、逆に「理性」だけで何かを決めようとして失敗してしまうこともあるでしょう。

問題なのは「感情」と「理性」のバランスなのですが、「感情」と「理性」では、何もしなければ「感情の方に偏ってしまう」という方が自然です。

なぜなら、「感情」は誰でも持っているものですが、「理性」は誰でも持っているというわけではないからです。

ということは、「感情」と「理性」のバランスを持つためには、初めから自分に備わっている「感情」ではなく、意図的に「理性」というものを自分の中に作り上げていくしかありま