さて、昨日の記事の続きです。
今日も書いてみたら長くなってしまいました。ちょっと覚悟して頂いて、最後までお読み頂ければ嬉しいです(笑)
英語でも日本語でも、「音」の世界にどっぷり浸かって「無意識の学習」をしてきた人は、「言語の法則」を無意識に持っている、ということを書きました。
そして、「言語の法則」を無意識のうちに身につけた人は、「未知の言葉」にも対応できる、とも書きました。
このことについて、私達の母国語である「日本語」で考えてみましょう。
例えば、次の言葉の語尾に「~ない」をつけ、それぞれ「否定の形」に変化させてください。
1. おもしろい
2. たのしい
3. あかるい
4. ほほえましい
日本人なら誰だって答えられるような簡単な問題ですね。
念のため、答えは次のようになります。
1. おもしろい → おもしろくない
2. たのしい → たのしくない
3. あかるい → あかるくない
4. ほほえましい → ほほえましくない
これを間違える日本人はいないでしょう。
ここで注目してほしいのは、語尾の「ない」の部分ではなく、その直前の「く」という文字です。
「おもしろい」の最後の「い」は、「く」に変わり、その上で最後に否定の意の「ない」がつきます。
日本人なら、「おもしろいない」とは決して言いません。
必ず「い」を「く」に変えた上で「おもしろくない」と言います。
「そんなの当たり前だ!」と思うかも知れませんが、まあ、もう少しおつきあいください。
「おもしろい」を否定形にして「おもしろくない」と変化させる時、たいていの人は「ない、という否定の言葉をつけること」に意識が向きます。
ところが、「い」を「く」に変えよう、ということには意識は向きません。
この部分は完全に「無意識」におこなわれたということになります。
人は、「意識」をもって繰り返したことは、そのうち「無意識」でおこなうことができるようになります。
マニュアルの車のギアチェンジだって、最初は「意識」しておこなうでしょうが、何度も繰り返していくうちに、そのうち「無意識」におこなうことができるようになります。
これと同じで、「おもしろい」を「おもしろくない」に変化させるということを何度も繰り返していくと、そのうちに「おもしろい」から「おもしろくない」へと「無意識」で変化させることができるようになるのです。
ところが、「言語」のおもしろさはここにあります。
人は、「おもしろい→おもしろくない」という言葉だけでこのことを覚えていくのではなく、「おもしろい」以外の別の言葉にも「同じ法則」があることを学んでいきます。
上で挙げた「たのしい」「あかるい」「ほほえましい」もそうですし、これ以外の「同類と思われる言葉」にも「同じ法則」があります。
そして、こういう「法則」は、日本語の「音」が大量に耳から入ってくる中から「無意識」に学習されていきます。
この学習は、生まれた時から始めているのだとしたなら、3~4歳の時点である程度は完成します。
つまり、3~4歳の子どもはすでに、「おもしろい→おもしろくない」という変化を「無意識」におこなえるようになっていると言えます。
では、3~4歳の子どもは、「おもしろい」「たのしい」「あかるい」など、「聞いたことのある言葉」しか正しく変化させられないのでしょうか?
答えは「No」です。
ある神経科学者の研究によれば、小学校に上がる前の子どもが日常生活の中で「耳にする」ことができる言葉の「数」には限界があるとのことです。
これは単に「時間的」な理由によるとのことです。
つまり、その限界数を超える言葉については、日常生活の中で耳にすることが「できない」のです。
ところが、「これまでに耳にしたことがない言葉」であっても、小学校に上がってから初めて耳にしたりすると、正しく変化させることができるというのです。
例えば、「わずらわしい」という言葉を生まれて初めて聞いた小学生に「~ない、という否定の言葉に変えてみてください」と指示を出すと、きちんと「わずらわしくない」と答えます。
どんなに間違っても「わずらわしいない」とは答えないのです。
これは、「過去に出会った言葉を記憶して答えている」のではなく、「無意識」に獲得した「言語の法則」を使って答えていることになるのです。
もう1つ、大人の皆さんにも分かるような例を挙げます。
皆さんは、「ばみる」という言葉を聞いたことがありますか?
これはある分野で使われる特殊な言葉で、おそらく日常的にはあまり使われないことから、多くの日本人にとっては「初めて聞く言葉」と言えるでしょう。
「ばみる」は辞書には載っていませんが、日本語です。
意味は後ほど説明します。
さて、「ばみる」という言葉、これの「品詞」は一体なんでしょうか?
次の4つから選んでみてください。
A. 名詞
B. 形容詞
C. 動詞
D. 接続詞
「品詞」の意味が分からない方も、なんとなく想像して答えてみてください。
よろしいでしょうか?
正解は。。。
「C. 動詞」です。
はい、たぶん、ほとんどの方が正解されたのではないかと思います。
意味も分からない、初めて聞く言葉なのに、なんとなく「動詞かな?」と当てられたのは、そういう「法則」を自分の中に持っているからです。
そしてここからが本題。
「動詞」というのは、「動き」を表す言葉のことですね。
例えば「歩く」とか「投げる」とか。
一般に、「動詞」というのは「過去形」へと変化します。
「歩く」ならば「歩いた」というように、「過去」の出来事として表現する際に「過去形」が使われます。
これを踏まえ、次の動詞を、それぞれ「過去形」へと変化させてみてください。
・なげる
・かく
・よむ
・はしる
・ねる
さあ、これも日本語を母国語とする皆さんならカンタンですね。
一応、答えは以下の通りです。
・なげる → なげた
・かく → かいた
・よむ → よんだ
・はしる → はしった
・ねる → ねた
まあ、できて当たり前でしょう。
では、上で挙げた「ばみる」は、過去形にするとどうな
るでしょうか?
この下の方へ画面をスクロールする前に、ちょっと考えてみてください。
できれば、今、「声」に出して言ってみて下さい。
どうでしょうか?
「よんだ」があるからと言って、「ばみんだ」と言った人、いますか?
「かいた」があるからと言って、「ばみいた」と言った人、いますか?
たぶん、いないと思います。
もし「ばみんだ」や「ばみいた」と言った人がいたとしたら、失礼ながらその人は日本語の感覚が多少ずれていると言えます。
多くの人は、おそらく、「ばみった」と答えたのではないでしょうか?
中には「ばみた」と答えた人もいるかもしれませんが、「ばみった」と比べてみて、どちらが正しいか、改めて考えてみてください。
実は、正解は「ばみった」なのです。
この問題、周りの人にも出してみて下さい。
ほとんど全員が「ばみった」と答えることでしょう。
でも、どうして「ばみった」と答えるのでしょうか?
「ばみる」という言葉が「ばみった」に変化することを「知っていた」のでしょうか?
いいえ、そんなはずはありません。
最初に「知らない言葉である」ということを確認しています。
もし「知っていた」というのなら話は別です。
しかし、ほとんどの人が「ばみる」なんて言葉は聞いたことがなかったはずです。
「知らなかったけれど、正しい形に変化させることができた。」
これは「過去の知識の記憶」から出てきたのではなく、
「無意識に獲得した日本語の法則」を使ったのだと言えるのです。
そう、「 y = 2x 」という関数の「x」に何かしらの数字を入れることで、自然と「y」の値が決まる、というのと同じです。
「法則」を無意識に学習しているからこそ、「未知の言葉」を入れた時に「正しい形」となって出てくるのです。
決して「記憶」で答えたわけでは、ないのです。
人が「言葉」を使って人とコミュニケーションをする場合に、こういう「無意識に獲得した法則」というものがとても重要になります。
「無意識」だからこそ、「とっさ」に反応することができるのです。
「無意識」だからこそ、「正しく」答えることができるのです。
逆に「意識」しながらやっていることは、「とっさ」に反応することもできず、また時には「間違って」答えてしまうこともあります。
日本人が日本語を話す時に、「おもしろくない」を「おもしろいない」というように間違えたりしないのと同じように、
英語を話す人が英語を使う時には、そういう「言葉の変化」や「言葉の並べ順」については間違えたりしません。
間違えているうちは、「無意識に英語の法則を獲得する」というレベルまで、まだ到達していないということになります。
そして、「無意識に英語の法則を獲得する」ために必要なものは、「英語の音」なのです。
「言語の音」には、その言語の「全ての法則」が含まれています。
自分で意識がなくても、「音」を大量に入れたり出したりしているうちに、人の脳は、「無意識」にその言語の法則を「全て」取り入れていくのです。
そうやってできた「法則」は、無意識なので自分ではよく分かっていなくても、「いざ」という時に瞬時に反応してくれて、「未知の言葉」であっても正しい形へと変化させてくれるのです。
英語を身につけたいと願うならば、「文法」や「単語」などを一生懸命覚えていくような「意識的な学習」も大事ですが、
それと同時に「音」を使った「無意識の学習」が非常に大事なのです。
さあ、今日もたくさん書いてしまいました。
ここまでお読み下さってありがとうございます。
ちなみに、「ばみる」の意味については、また別の記事で書きますね。