「オーバーワーク」の状態に陥っている人、あなたの周りにいませんか?

私の周りにはそういう人がたくさんいますし、過去にもたくさんいました。

オーバーワークになると、遊び心がなくなって、常に仕事に追われてしまい、心には全くゆとりがなくなってしまいます。

この状態が長く続けば、当の本人が心の病にかかる可能性が出てくるだけでなく、その周りの親しい人達までも苦しい状況に追い込んでしまうことがあります。

そうならないためにも、「オーバーワーク」の状態は、決して慢性化させてはいけません。

そのために一体何ができるのか、今日も一緒に考えてみましょう。

 

<アメブロからの続きはここから>

 

オーバーワークの原因は、自分の外の「環境」にあることがほとんどかもしれません。

しかし、時に、原因の一部が「自分自身の中」にあることもあります。

その1つとして挙げられるのが「過剰な責任感」というものです。

責任感を持つこと自体は良いことです。

ところが、それが過剰に働き、自分や周囲の人達が苦しい状況となる原因となってしまっているならば、それを自分自身でコントロールしなくてはなりません。

前回、責任感を人一倍感じる人は、本当は自分がやるべき仕事でなくても、率先して自分の仕事として抱える傾向があると書きました。

心にゆとりがあり、負荷を感じながらもそれを自らの成長に結びつけることができるならば、どんどん率先して仕事を増やしても構わないでしょう。

しかし、心にゆとりがなくなり、正常心でもいられなくなっても、「やるべき仕事でない仕事を増やし続ける」のは問題です。

「責任感」という名目のもとで、自分自身を苦しめ続けることは賢明ではありません。

心の病になってしまえば、自分だけの問題ではなくなります。

 

「過剰な責任感」というものがオーバーワークに影響を及ぼすのは「仕事の量」だけではありません。

「仕事の完成度」というものにもまた、「過剰な責任感」というものがマイナス要因として働くことがあります。

ある仕事を完成させる場合、「どの程度で完成とみなすか」という判断をしなくてはなりません。

仕事によっては、その線引きが個人の「主観」に委ねられている場合もあります。

その仕事をしている当の本人が、「これでは完成したとは言えない」と感じてしまった場合は、まだその仕事を終えることができません。

反対に、「まあ、これで完成にしてもよいかな」と感じられたならば、その仕事はもうおしまいにしても良いことになります。

1つの仕事に対して、それが完成したかどうかに対する「判断基準」が一般的な平均よりもゆるい人は、「少々いい加減な人」と言えるかもしれません。

逆に、完成度への判断基準が一般的な平均よりも厳しめな人は、「責任感のある人」と言えるでしょう。

上述したように、責任感があるということ自体は良いことと言えます。

しかし、責任感が過剰に働き、一般的に「もう完成ということで良いのでは?」と思われるところで満足できず、いつまでも仕事を終えられないのだとしたならば、オーバーワークの状況を自分自身で悪化させてしまいます。

オーバーワークの状態が慢性化すると、本当に恐ろしいのです。

心も身体もやられます。

そして、そうなっても会社や組織は責任をとってくれません。

何もできない状態になって、会社や組織を辞めることになりかねません。

もしもオーバーワークに苦しみながら、それを改善したいと願っている人がいたならば、その原因の1つとして、自分自身の「責任感」に対する考え方を見直してみてはいかがでしょうか。

 

<つづく>