昨日は「時制の一致」について、最初に確認すべき事柄について述べました。
時制の一致の「一致」という言葉がやっかいで、多くの文法書には次のように書かれています。
「主節の述語動詞の時制が過去形の時、従位節の述語動詞の時制も過去形にしなくてはならない。これを時制の一致という。」
一見、正しそうに見える説明ですが、これでは説明しきれない英文がたくさん出てきてしまいます。
「時制の一致」というのは、主節のと従位節の述語動詞を「過去形で一致させる」ということではありません。
そうやって解釈してしまっていると、とんでもない誤解を生むことになりかねません。
<アメブロからの続きはここから>
前回も書きましたが、時制の一致という文法項目で言いたいことは、「日本語と英語の意味的なズレに着目し、述部の時制の変換を行うこと」なのです。
これを理解するためには、まず、「日本語での理解」が不可欠となります。
以下の4つの文を見てみてください。
A. 私は、彼が大工である、ということを知っている。
B. 私は、彼が大工であった、ということを知っている。
C. 私は、彼が大工である、ということを知っていた。
D. 私は、彼が大工であった、ということを知っていた。
どの文も、「彼が大工である(であった)ということ」という部分が従位節であり、しかもこの従位節は「名詞節」となっています。
そして、「私は知っている(知っていた)」という部分が「主節」ということになります。
主節の述語動詞の部分を見てみると、「知っている=現在形」で、「知っていた=過去形」となりますね。
一方、従位節の方を見てみると、「大工である=現在形」で、「大工であった=過去形」となります。
つまり、
A. 主節=現在形、従位節=現在形
B. 主節=現在形、従位節=過去形
C. 主節=過去形、従位節=現在形
D. 主節=過去形、従位節=過去形
となります。
ここで考えなくてはならないのは、「形と意味」が合致しているかどうか、という点です。
形が「現在形」だからと言って、意味も「現在」のことを表しているとは限りません。
1つ1つ、この点を見ていきましょう。
「A」の文は「私は、彼が大工である、ということを知っている。」となっており、「知っている」のは「現在」のことであり、そして「大工である」というのも「現在」のことと言えます。
つまり、「A」の文では、「現在形」という形と、「現在のことを表している」という意味が、主節と従位節の両方で合致していることになります。
次に「B」の文。
これは「私は、彼が大工であった、ということを知っている」となっており、「知っている」のは「現在」のことですが、「大工であった」というのは「過去」のことと言えます。
この文においても、主節における「現在形」という形が「現在のことを表す」という意味と合致しており、従位節における「過去形」という形が「過去のことを表す」というように、「形」と「意味」が合致しています。
ここまでは問題ないのです。問題なのは、次からです。
「C」の文を見てみましょう。
「C」は、「私は、彼が大工である、ということを知っていた。」という文です。
「知っていた」という部分は、「過去形」という形であり、そして意味についても「過去のことを表す」という点で合致しています。
ところが、「大工である」という部分については、「形」は「現在形」ですが、これは「現在」のことを表しているでしょうか?
いいえ、ここでの「大工である」という表現は、現在形の形をしていますが、意味としては、「知っていた」という時点(つまり過去の時点)において「大工であった」という「過去のこと」を表しているのです。
つまり、形の上では「主節=過去形、従位節=現在形」となっているのですが、「意味」で考えると、「主節」も「従位節」も、どちらも「過去の同じ時点」のことを表していると言えます。
では、「彼が大工であった、ということを知っていた」という、「D」の表現についてはどうでしょうか?
この文では、「知っていた=過去形」で、「大工であった=過去形」というように、どちらも「形」は過去形です。
しかし、「意味」はどうでしょうか?
「知っていた」のは「過去のこと」と言えますが、「大工であった」というのは、「知っていた」という時点と同じ時点の話をしているのでしょうか?
いえ、ここでの「大工であった」というのは「知っていた」という時点よりも「前」の時点を表しています。
「彼が大工であった、ということを知っていた」という表現では、何を知っていたかというと、「以前、彼が大工であったということ」なので、「知っていた」という時点よりも昔の話をしているわけです。
つまり、「D」の文では、形の上では「主節=過去形、従位節=過去形」となっているのですが、「意味」で考えると、「主節」は「過去の時点」を表し、「従位節」では「さらに過去の時点」のことを表していると言えます。
ここで、4つの文を見比べながら、「時間の流れ」を表したイメージで確認してみましょう。
A. 私は、彼が大工である、ということを知っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・【知っている】
・・・・・・・・・・・・・・・・・【大工である】
━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━
・・過去の過去 過 去 現 在
B. 私は、彼が大工であった、ということを知っている。
・・・・・・・・【大工であった】 【知っている】
━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━
・・過去の過去 過 去 現 在
C. 私は、彼が大工である、ということを知っていた。
・・・・・・・・・【知っていた】
・・・・・・・・・【大工である】
━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━
・・過去の過去 過 去 現 在
D. 私は、彼が大工であった、ということを知っていた。
・【大工であった】【知っていた】
━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━━━╋━━━━━
・・過去の過去 過 去 現 在
このように、日本語においては、「C」と「D」の従位節の部分で「形」と「意味」にズレが生じているのです。
どちらも「主節」の述語動詞が「知っていた」という「過去形」になっている、という点に注目してみましょう。
主節の述語動詞が「過去形」になっている場合、日本語では、その過去の時点と同じ時点のことについて述べる場合には、意味は過去のことであっても従位節では「現在形」で表現されます。(Cの表現)
そして、「主節=過去形」で、さらに「従位節=過去形」という日本語の文では、「従位節」の部分は「過去形」でありながらも、主節と同じ時点での過去のことではなく、主節よりも「前」の過去の時点のことを表します。
以上の4つの文の「違い」について、「形」と「意味」を付け合わせて考え、理解することがとても重要です。
「時制の一致」と呼ばれる文法項目は、「英語の問題」というよりは、「日本語と英語のズレの問題」なので、まずは「日本語の理解」が必要となるのです。
さて、続いて「英語」での表現仕方について説明をして行きたいのですが、また長くなりましたので、続きはまた今度!
どうぞお楽しみに!