あなたの身の回りにも、きっと「賢い」と人に感じさせる人はいることでしょう。
その人は、なぜ、賢いのでしょうか?
生まれつき賢い?
そうかもしれませんが、そうではない可能性の方が高いように思います。
おそらく、その賢い人は、「賢くあろう」としている人なのではないでしょうか。
「賢い人」は、そもそも「賢くありたい」と願っている人であり、その願いがあるが故に、賢くなるためのことを普段から実践している人なのだと思います。
前回も書きましたが、「賢い人」は「思考力の高い人」です。
つまり、賢い人は、普段から「考える」ということを実践している人だろうと想像できます。
ところが、「考える」ということは、簡単なことではありません。
何かについて考えようとしても、「考えること」自体が面倒くさいし、頭は疲れるし、答えが出るまでに時間はかかるし、大変です。
「面倒くさい」と「疲れる」と「時間がかかる」というのは、人にその行為を断念させるのに十分な「デメリット要素」と言えます。
しかし、それでも「考える」ということをやろうとする人は、それらのデメリットを超えて、「その先の未来に得られるだろうメリット」を見据えているのです。
それはまるで「筋トレ」や「ダイエット」と似ています。
「筋トレ」にしても「ダイエット」にしても、「面倒くさい」と「疲れる」と「時間がかかる」という3点デメリットセットが揃っています。
この3点デメリットセットが揃っているにも関わらず、それを実践できる人は、「その先の未来に得られるだろうメリット」を見据えているに違いありません。
そして、実際に、引き締まった身体をしている人は、そういう3点デメリットと言えるようなことを実践してきた人なのでしょう。
人の行動の一番最初に、「そういう人になりたい」という願望を強く持つことができるかどうかによって、目標を達成するまでの努力を続けられるかどうかが左右されます。
「賢くありたい」と願うことが、「賢い人」になるために一番最初に必要なことだと言えそうです。
<続く>