「人の役に立つ」ためには、「人が簡単にできないことでも、自分ならばできる」という状況が必要です。
誰でも簡単にできることや、人手が十分に足りているところでは、「人の役に立つ」ということはなかなかできそうにありません。
また、「人の役に立とう」と思う人は、実際に、人の役に立とうとして「行動」することでしょう。
しかし、実際に行動してみると、そのことの「難しさ」を痛感し、思ったように自分がそのことをこなせない、ということを思い知らされるかもしれません。
その結果、「人の役に立とう」と思って行動したのに、思ったほど人の役に立つことができなかった。
残念だし、自分が情けないし、悔しいとさえ思う。
だから!
「次の時にはもっと役に立てる自分になっているように、今から努力しよう!」と思い立った、とします。
「自分の力のなさ」を痛感し、悔しい思いをした人が、それでも「人の役に立ちたい」と願い続けるならば、その人は、「難しいこと」にもどんどん挑戦していくことでしょう。
「難しいこと」であっても、それに挑戦しようとする「チャンス」が生まれるのです。
前回、「考える」という行為は、「面倒くさい」と「疲れる」と「時間がかかる」という「3大デメリット要素」だと書きました。
しかし、「人の役に立ちたい」と願い続ける人は、そういう3大デメリット要素といえるようなことも、積極的に取り組んでいきます。
そうやって、少しずつ自分の力を高めていき、次に「人の役に立てるかもしれない」という場面がやって来た時に、今度こそ、という思いで力を発揮します。
そして、前の時には役に立つことができなかったけれど、今回は、少しは、役に立てたかもしれない、ということを経験したならば、「ああ、大変な思いをしてやってきたけれど、やってきて良かった」と思えることでしょう。
「賢い人」が、必ずしも「人に役に立ちたい」と願う人であるとは限りませんが、「人の役に立ちたい」と願い続ける人は、その思いが続く限り、より賢くなるチャンスを持つことができるのではないかと思います。
「人の役に立ちたい」と願い続けた人は、最終的には自分自身が「賢くなる」のだろうと思います。
<続く>