前回からの続き】

 

前回も書いた通り、相手が誰であろうと、「教育」というものは「その相手の未来のため」であるべきです。

相手が「生徒」であるならば「その生徒の未来のため」であり、相手が「我が子」であるならば「我が子の未来」のため、ということです。

では、相手が「我が子」だった場合、我が子の未来のために残しておくことができるものとは一体何でしょうか?

もちろん、お金や財産といったものがまず最初に挙げられるかもしれません。

しかし、もっと大事なことがあります。

それは、「賢さ」というものです。

いくらお金や財産を残してあげたとしても、肝心の我が子が「賢くない」、あるいはもっと直接的な言い方をすれば「頭が悪い」のだとしたら、せっかく残したお金や財産も無駄になってしまうかもしれません。

逆に言えば、「賢さ」さえ我が子に備わっていれば、仮に、親がいなくなった後で苦難の時代がやって来ようとも、きっと自力で生き抜いていく方法を自分で見つけていくことでしょう。

では、「賢さ」や「頭の良さ」といったものは、どのようにしたら人に身につけさせることができるのでしょうか?

え? その前に「自分がもっと賢くなりたい」ですって?

そうですね。私も「もっと賢くなりたい」と思います。

ただ、「自分が賢くなる」ということも、「誰かを賢くさせる」ということも、私に言わせればどちらも同じようなことだと思うのです。

 

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