今日の夕方、少し小腹が空いたので、柿をむいて食べました。

私(久末)にとって、包丁で果物の皮をむくのはお手のもの。

私は千葉県鎌ヶ谷市育ちで、つまり、毎年夏には「梨」を食べていたのです。

子供の頃、うちの親は働きに出ていたので、梨を食べたければ自分で皮をむかなくてはなりませんでした。

小学校4~5年生の頃には、私は相当上手に梨をむいて食べることができるようになっていたと思います。

包丁で果物の皮をむく、ということが上手になっていくのが楽しくて、家族の分も進んでむくような子供でした。

そういう経験があった今、私は、季節の果物を自分で買ってきて、自分で皮をむいて食べる、ということを当たり前のようにやります。

で、今日も、いつのように、当たり前に私は柿の皮をむいて一人で食べました。

そういうことをしながら、私はふと思いました。

「もしも、自分で皮をむくことができなかったら、こうして美味しい柿を食べることができないだろうな。」

そもそも自分で皮をむけないならば、自分で柿を買ってこようとすら思わないでしょう。

何かを「自分だけでできる」というのは、とても幸せなことなんだと思います。

「誰かの助けが必要だ」というのは、不幸だとは思いませんが、「不便」であることは間違いなさそうです。

私たちは誰だって歳をとるし、だんだんと「自分だけでできる」ということが減っていってしまうことでしょう。

でも、そういう状況におかれても、人には何かしら「自分だけでできる」ことがあります。

幸せっていうのは、そういうものを「再発見」したり「再認識」した時に訪れるものなんだろうと思います。

そういう意味では、「英語を使ってコミュニケーションができる」というのも同じく「幸せ」なことと言えます。

通訳してくれる人や機械がなくても「自分だけでコミュニケーションができる」という状況は、まさに「幸せ」なんだろうと思います。

そして、「自分だけでできる」という状況になるには、「自分だけでやる」という当たり前のことを繰り返さなくてはなりません。

包丁を持って自分で果物の皮をむく。

辞書を片手に自分で英文をつくって発音してみせる。

最初はへたでも、誰の力も借りないで、自分の力だけでやる。

そういうことを繰り返した人だけが、いつしか「自分だけでできる」ようになるのです。

そして、自分だけでできることをたくさん増やすことができた人は、その数の分だけ「幸せ」を認識できるのだろうなぁ、と思うのです。

今日、何気なく自分で柿の皮をむいていて、そんなことを考えました。

美味しい柿を食べることができて、私は幸せでした(笑)

<おしまい>

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