さて、いよいよ「電子辞書」と「紙の辞書」の違いに関するテーマも大詰めです。

今の時代、「紙は古い」という考え方も広まっているようです。

その一方で、「紙だから良い」と言える部分もあります。

今日は、電子辞書と紙の辞書の本質的な違いについて、最後のまとめに入ろうと思います。

 

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電子辞書の「良い点」の1つとして、「スペルを途中まで入れると、候補の単語がいくつか出てくる」という点が挙げられます。

「スペルの途中」であっても、そこから予測して複数の単語を示してくれます。

そうすると、「あ、この単語だ」というものを選ぶだけで求める単語の詳細が表示されます。

これはユーザーにとってはとても「便利な機能」といえるでしょう。

 

一方、紙の辞書の場合は、割と最後までスペルを頭の中で綴っていかないと目的の単語に到達できません。

「A〜Z」のアルファベットの順番を常に頭で意識しながら、紙をめくっていかなくてはなりません。

これは、言うなれば「面倒くさい作業」と言えます。

 

「便利な電子辞書」に対し、「面倒くさい紙の辞書」。

しかし、「人の能力の向上」という観点で言えば、「面倒くさい」と思えるものの方が良いかもしれません。

「A〜Z」のアルファベット順を頭で繰り返しながら単語を調べていくと、「単語のスペル」が記憶に残りやすくなります。

逆に、スペルを頭の中で綴ることなく、「途中まで入力すれば良い」となれば、単語のスペルがなかなか記憶に残りません。

皮肉なことですが、「便利」な方が記憶に残らず、「面倒くさい」方が記憶に残りやすいのです。

 

これは、現代の電子機器全てに当てはまることと言えそうです。

例えば、「カーナビ」。

一昔前はカーナビのようなものはありませんでした。

目的地に行くためには、紙の地図を事前に確認し、車にも持ち込み、途中で迷ったら路肩に車を寄せて地図を確認する、という「面倒くさい」ことをしなくてはなりませんでした。

しかし、そういう面倒くさいことをして目的地に到達すると、その次からは地図を見ないでも行けるようになります。

面倒くさいことをしたので、「人間の頭の中」に記憶が残ったわけです。

ところが、カーナビを使うとそういうわけにはいきません。

カーナビで目的地をセットしてしまえば、あとはカーナビからの「次の信号を右」とか「次の出口で降りてください」といった指示に従っていれば良いのです。

人間にとってはとても楽ですが、カーナビを使って目的地に辿り着いても、次の時に「自力」で行けるかどうかは怪しいところです。

「面倒くさい」と思われることは、「人の頭」に負荷をかけることになりますが、その負荷が「記憶に残る」ようにしてくれるのです。

 

他にも、スマホや携帯電話の「アドレス帳」も同様です。

昔は、友人や知人の家に電話する時は、紙のアドレス帳を見ながら番号を「自分の指」で押した(あるいは回した)ものです。

何度も繰り返し同じ番号にかけていると、そのうち、紙のアドレス帳を見なくても電話をかけることができるようになったりしました。

なので、外の公衆電話からであっても、友人や知人の家に電話することができたのです。

ところが、今ではスマホや携帯電話のアドレス帳が電話番号を記録してくれているので、友人や知人の「名前」さえ見つけることができれば、電話をかけることができます。

本当に親しい友人の電話番号や、はたまた「家族」の電話番号ですら、今では記憶していない人がほとんどではないでしょうか。

自分の指で番号を押す(あるいは回す)という面倒くさいことをしていた時代の方が、人々は友人や知人の電話番号を「頭に記憶」していたのです。

 

こうして考えると、電子辞書というものは確かに「便利」ではあるのですが、「頭に記憶させる」ということを目的としているならば、「便利」であることが逆にデメリットとなりそうです。

逆に紙の辞書は、「面倒くさい」と思われますが、その方が「頭に記憶させる」という点では有利なのかもしれません。

 

さて、何日かにわたって電子辞書と紙の辞書の違いについて見てきました。

どちらにも良い点、悪い点があります。

表面的なメリットやデメリットだけでなく、本質的なメリットやデメリットを把握した上で、両者をうまく使い分けるのが良いと思います。

これから辞書の購入を検討している方、あるいは既にどちらか一方の辞書のみを持ってるという方は、是非参考にしてみてくださいね。