前回、「音読」をしながら「自分の音を聞く」ということが大事だという話をしました。

つまり、

「音を出す」という「アウトプット」をしながら、同時に
「自分の音を聞く」という「インプットを行う。

ということが大事だ、ということです。

以前もこのブログや他のあちこちでも書いていますが、元来、どんなことであっても「インプット」より「アウトプット」の方が、遙かに上のレベルのもの、難易度の高いものと言えます。

例えば「本を読む」という「インプット」に対し、
「本を書く」という「アウトプット」があるとします。

「100冊の本を読む」よりも、
「100冊の文を書く」方が、

遙かに上のレベルのものであり、難易度が高いのです。

これと同じで、音に関しても「音を聞く」という「インプット」よりも、「音を出す」という「アウトプット」の方が、遙かに上のレベルのものと言えるのです。

「音読」という行為は、そういう意味では、

1.「文字」を目から「インプット」する
2.「音」を口から「アウトプット」する

という2つの異なることをすでにしていることになります。

しかし、問題なのは、その次です。

3.「自分が出した音」を、もう一度、耳から「インプット」する

ということをしなくてはならないのです。

上記「2」のアウトプットは、アウトプットであるが故に、元来「難しさ」を持っています。

その難しいアウトプットである「音を出す」ということをしている最中、「音を出すこと」ばっかりに意識が行ってしまい、「自分がどんな音を出したのか?」という点に意識が行かず、「自分の音を聞く」ということがおろそかとなってしまう人がいるのです。

そういう人は、「自分で音を出す」ということをしながらも、それをしっかりと「聞く」ということをしていないため、間違った発音やおかしな発音をしていても、そのことに気づきません。

私の見立てでは、日本人の半分ちかくはその傾向にあります。

できる人は、自然と「自分の音を聞く」ということがやれるのですが、
できない人は、意識をもってやろうとしても、なかなか「自分の音を聞く」ということができず、苦労します。

このことは、「歌を歌う」ということにすごく似ています。

「歌を歌う」ということは、まさに、「自分の口から音を出す」という行為ですが、歌がうまい人は、必ず「自分の音を耳でしっかり聞く」ということを実践しているのです。

ところが、歌がへたな人は、様々な原因がありますが、たいていは「自分の音を耳でしっかり聞く」ということができていません。

「歌がうまくなりたい」と思うなら、「発声練習」なども必要なのですが、もっと根本的な問題として、「音を出しながら、同時に、自分の音を自分の耳で聞く」という、「アウトプット&インプット」の両方ができるようになる必要があるのです。

普段から「歌を歌う」ということをたくさん実践している人は、たいてい、英語の「音読」をやってみても、すぐに上達します。

ところが、普段から「歌を歌う」どころか、「大きな声で話す」ということすら日頃あまりやっていないという人は、たいてい、英語の「音読」も苦手のようです。

「歌う」や「人と話す」など、「声を出す」ということをたくさんしている人は、いつも「声を出して、自分で音を調整する」という練習をたくさんしていることになります。

「歌う」や「人と話す」をあまりしない人は、そういう練習をあまりしていない、と言えるのです。

英語の音読をしながら、「音を出し、同時に音を聞く」ということができるようになるためには、人間、結局は「練習」しかありません。

練習は、もちろん「声を出す練習」ということになりますが、もう1つ、別の角度から行うことのできる練習があります。

それは、また次回書きます。
どうぞお楽しみに!

<続く>