たいていの人には「忍耐力」はあります。

「忍耐力」が全くない、という人などいません。

どんな人であっても、「得意なこと」や「好きなこと」に取り組んでいる時には、その行為を「邪魔」する者に対して、「高い忍耐力」を発揮します。

例えば、「読書」が好きな人がいたとします。

本を読んでいれば、何時間でも読んでいられる。

途中で、「あ、少しお腹が空いたな」と感じたとしても、そんなことはお構いなしに読書を続けます。

「トイレに行きたい」と思ったとしても、本の内容がちょうど面白いところに入ってしまっていたなら、トイレすら我慢することでしょう。

読書を続けていて、日が暮れてきて、部屋の中も少し暗くなったとしても、「立ち上がって照明をつける」という時間さえ惜しい、と感じたならば、多少薄暗い中でも我慢して読み進めます。

そのうち家族の誰かが家に帰ってきて、「なんでこんなに暗いところで本を読んでるの?」と言われたことがある、という人もいるのではないでしょうか?

このように、「得意なこと」や「好きなこと」に取り組んでいる時には、人は、本来自分が持っている「忍耐力」を最大限に発揮します。

ちょっとやそっとのことでは中断しようとしません。すさまじい忍耐力です。

 

ところが、「不得意なこと」や「嫌いなこと」に対しては、そのすさまじい忍耐力も、急激に低下してしまいます。

例えば、「読書」は大好きだけれど、「筋トレ」は大の苦手、という場合を考えてみましょう。

筋トレを始めてすぐに、「あ、少しお腹が空いたな」と感じたならば、「うん、腹が減っては戦はできぬ、だな。ご飯を食べよう!」と言いながら、早々に筋トレを中断してしまいます。

あるいは、筋トレをやっているうちに「トイレに行きたい」と感じたならば、とっとと筋トレを中断し、トイレへと駆け込むことでしょう。

さらには、日が暮れてきて、部屋の中が暗くなって来たならば、「うん、こんな時間になってしまった、もう今日はやめよう」と思うかもしれません。

 

同じ人物であっても、「得意なこと」や「好きなこと」に取り組んでいる時の「忍耐力」と、「不得意なこと」や「嫌いなこと」に取り組んでいる時の「忍耐力」は、同じではありません。

これは、その人に「忍耐力がない」のではなく、自分の「意識」によって、忍耐力が上がったり下がったりしている、ということを意味します。

言い換えるならば、「忍耐力」という言葉を頭の中に思い浮かべながら、「忍耐力を高めよう」と意識することで、人は自分の忍耐力を高めることができる、ということです。

頭の中で「思考」を続けていくためには、自分の「忍耐力」に対する意識を、自分自身で高めていくことがとても重要なのだと思います。

 

<続く>